中将姫ゆかりのお寺近くで、和栗パフェ、ラムレーズンアイスとコーヒーゼリー盛り

「ならまち」の南には、中将姫ゆかりの徳融寺(とくゆうじ)や、奈良の御霊神社(ごりょうじんじゃ)などがあって、古民家の並ぶ狭い路地が入り組んでいて、古都をしのぶ独特の空気が漂っています。

その中にある小さなカフェで、和栗とラムレーズンのパフェをいただきました。

 

  • 七福食堂でパフェと遭遇!

 

JR奈良駅、近鉄なら駅からほど近い、歴史的町並み「ならまち」。

その「ならまち」にある、有名な元興寺(がんごうじ)から、さらに南へと下ると、中将姫ゆかりの徳融寺や、奈良の御霊神社などがあります。

 

その一角にある「七福食堂」という、おしゃれなカフェで、おいしいパフェがあると聞いて、訪ねてみました。

 

 

 

目的は、「和栗とラムレーズンのパルフェ」こと、古白のパルフェ(税込み1,000円)です。アルコールが少し含まれています。

 

週末で少し混んでいましたが、タイミングよく、5分ほどの待ち時間で中に案内してもらえました。

 

秋といえば栗、栗のスイーツといえばモンブラン!!ということで、最近、奈良の美味しいモンブランをいくつか食べてはいるのですが、こちらはパフェになっているのが珍しく、興味津々、そそられます。

 

席について速攻でオーダーすると、

「少しお時間頂戴します」と、ていねいに説明してもらいました。

 

とはいえ、数分待って、出てきたのが、こちらです。

 

 

和栗のマロンクリームの下には、ラムレーズンのアイスクリームが、その下にはコーヒーゼリーのブロックがゴロゴロ入っているパフェです。

 

おそらく、画像で見るよりも、実際は少々こぶりなサイズですが、食べ応えはありました!

それは、この一番下に入っているコーヒーゼリーのせいかもしれません。

 

また、アイスクリームの下には、カリカリのグラノーラが少し入っていて、クリームを溶かしながら少しふやかして食べるのも美味なのですが、これもまた腹持ちしそうな素材です。

 

七福食堂は、自家焙煎の深煎り珈琲もおいしいそうで、このパフェのコーヒーゼリーは、もちろんお店の珈琲で作られています。

そう、自家焙煎の深煎り珈琲ゼリーですね。

 

このコーヒーゼリーを、アイスクリームを少し溶かして、からめて食べるのが、楽しいのです。心躍り、スプーンを持ちつつ、笑みがこぼれます。。

 

グラノーラの下、コーヒーゼリーとの間には、またアイスが入っていて、これが画像で見えている白い部分です。

つまり、和栗のマロンクリームは、アイスの上にかかっている・・という形状なので、栗感は、見た目より薄い印象です。

栗のスイーツというより、食後の感想は、ラムレーズンアイスと、コーヒーゼリーをたらふくいただいた!と私は思いました。

 

とはいえ、マロンの味はしっかりしているので、秋スイーツの楽しみはしっかり味わえましたよ。

 

スイーツのほか、季節の定食や、玉子雑炊、ご飯セットにほろ酔いセットなどもあるようです。

 

珈琲はもちろん、他の方が頼まれていた、アイスカフェラテが、すごく美味しそうでした。

 

 

カフェ向いの徳融寺は、中将姫ゆかりのお寺

 

さて、この七福食堂さんの向い側には、徳融寺(とくゆうじ)というお寺の山門がありました。

 

 

画像は、この山門の横のドア向こうで、境内への参道が見えています。

 

徳融寺は、もとは元興寺の境内の一角にあったともいい、中将姫(ちゅうじょうひめ)の父親である、藤原豊成の邸宅があったということで、中将姫が生まれ育った場所という言い伝えがあるようです。

境内には、中将姫と藤原豊成の供養塔があって、遠い時代へ思いを馳せることができそうですね。

 

この中将姫の物語は、戦前までは、日本人なら誰もが知っているほど有名だったと聞きます。

 

継母にいじめられる白雪姫の日本版童話のようなお話です。これは、台湾や中国の観光客に人気があって、中将姫のゆかりの場所へ旅する人も多いようです。

 

中将姫は、当麻寺で尼になり、仏への信仰から、一夜で蓮の織物「当麻曼荼羅」を織り上げ、最期は、當麻寺で、阿弥陀如来のご来迎により西方浄土へ往生されたということです。

 

 

中将姫も栗スイーツは好きだったかも?

 

ところで、私は、中将姫は、おっとりとした姫気質でありつつ、学問への情熱を燃やした賢い女性だったのではないかと考えています。

 

当時、姫君たちは、ときとして政治の駒として、結婚を強いられることがありました。

中将姫も、ときの帝への輿入れをほのめかされたことがあるようです。

 

ですが、政治に利用されるよりは、好きな学問を続けるために仏道へ入ったのでは・・・

あるいは、信仰心が篤いまま仏の道を追求されたのかもしれませんが、どちらにしても、己のやりたいことを見つけて道を開こうとしていた人だったのではないでしょうか。

 

中将姫のゆかりの場所は、実際のところ複数ありますし、中将姫自身が本当に存在した一人の女性であったかどうかについても、誰にも正確なことは分からないと思うのですが、

もし、一人の女性として存在したのであれば、そんな女性像を妄想しています。

 

ところで、中将姫が入内させられそうになっていたという淳仁天皇は、あっというまに政変で失脚させられていますので、結婚しなくて本当によかった!!!

しかも、後宮入内なので、正妻の地位につけたのかどうか甚だ疑問です。。

 

 

さて、この奈良時代、当然ながら、まだコーヒーもアイスクリームもありませんでした。

でも、唯一、栗は存在しています

奈良時代の人は、みんな、栗の実を食べられる秋を楽しみにしていたはず。

 

中将姫も、甘く炊いた栗を、きっとお召しになられたことでしょう。

 

和栗パフェは、奈良でこそ食べたいスイーツに思えてきませんか??

 

 

さて、御霊神社などについては、またあらためてお伝えしようと思いますので、

ぜひ続きをお楽しみに!!