万葉集の大伴家持(やかもち)の歌です。
七夕に寄せて、家持が作った、恋の歌をご紹介します。
あらかじめ、七夕のために作って置いた歌、という前書きのもとに、大伴家持がこんな歌を綴っていました。
妹(いも)が袖 我が枕かむ 川の瀬に 霧立ち渡れ さ夜更けぬとに(巻十九 4163)
「恋しい貴女の袖を枕にして、私は眠りたいものだ。川の瀬に霧よ立ちこめておくれ このまま夜が更けないように」。
七夕デートの夜を想像して詠ったのでしょうか。
それとも、恋しい妻とのひとときに、七夕の夜を思って作ったのかもしれません。
前回、妻になる坂上大嬢への相聞歌(恋歌)をお伝えしました。
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今回の歌は、二人が夫婦になってからの歌のような気がします。
七夕の織姫彦星は、年に一度しか逢えないというけれど、二人は晴れて夫婦になることができました。
一緒になるまでの、恋焦がれたときを思うと、もう二度と離れたくはないし、放したくない。夫婦でいることの喜びを、織姫彦星の悲恋と比べて、つまりは以前の自分たちと比べることで、今の幸せを歌っているようにも思われます。
あるいは、恋人時代のころを思い出して、七夕の夜、年に一度の逢瀬を楽しむかのごとく、離れがたい心をうたっているのかもしれません。
どちらにしても、「あらかじめ」作っておいた歌ということなので、今このときの恋の激情をうたっているものではなさそうです。
でも、これが「彦星」の気持ちを歌ったものであるとしたら、どうでしょうか。
朝になってしまえば、また来年まで会えない二人。
辛い別れの朝です。
本当なら、このままずっと妻の元にいたいのに・・・
家持自身のことではなく、彦星の歌として、創作したのだとしたら、これほど切ない歌はないと思えてきます。
家持は、坂上大嬢との恋愛時代にこんな歌も詠んでいます。
夕さらば 屋戸(やど)開けて設(ま)けて われ待たむ 夢に相見に来むと言ふ人を(巻四・744)
「夕暮れになったら家の戸を開けて用意して、あの人が来るのを私は待っていよう。深く想えば夢のなかで逢えるものだというので」。
通い婚だったこの時代に、戸を開けて待つのは、女性のはずです。
でも、ここでは、家持の方がそれをすると言っています。
なぜなら、強く心に思い焦がれる人がいるとき、人は、その人の夢を見ることができる、つまり夢の中に恋しい人が訪ねてきてくれるものだ、と言われていたからです。
それが本当なら、こんなにも恋焦がれている自分が、彼女の夢を見ないはずがない!
強気の、若き日の家持の歌と、彦星に思いを寄せる、壮年期の家持の歌の味の違いも面白いですね。