万葉集の2つの歌から考える、法隆寺と聖徳太子のナゾとは?

奈良の観光地、法隆寺を訪れたときのこと、続編です。

 

最近の歴史の教科書では、聖徳太子の名前が載らないものもあると聞いて、信じられない思いでいましたが、今回の法隆寺参拝で、ふと感じたことがありました。

 

それは、聖徳太子はやはり実在しなかったのではないか、ということです。

 

聖徳太子虚構説が定説となりつつある今日で、万葉集の歌から見て、私が思ったことをお伝えしたいと思います。

 

法隆寺から帰ってきて、早速、調べてみたのは、万葉集に詠われた歌でした。

 

前回の法隆寺についてはこちら。

https://beauty-kireininaru4.com/houryuji-temple-guzekannon/

 

意外なことに、万葉集のなかで、聖徳太子が詠った歌は1首のみ。

 

家ならば 妹が手まかむ 草枕 旅に臥せやる この旅人あはれ

 

これには、上宮聖徳太子が竹原井(大阪柏原市高井田)へお出かけになったときに、竜田山の行き倒れの人を見て悲しんで作られた歌、と説明書きがあります。

 

家にいたのなら、妻の手を枕としただろうに、旅に出て倒れてしまったのは哀れなことよ、という意味です。

 

ただ、これと似たシチュエーションの説話が、日本書紀につづられているそうです。

 

それには、推古天皇21年、つまり613年に、聖徳太子が、片岡(奈良の香芝市あたり)で、道に飢えた人を見つけ、食べ物と衣服を与えて歌をうたった内容で、この話が後世に伝わっていくうちに、万葉集で短歌になったのではないかと言われているのです。

 

ありうる話だと思いました。

 

というのも、この歌、なんとも立派な君主さまの姿ではあるのですが、どことなく出来すぎていて、作り物めいた感じがしなくもないと感じたからです。

 

本当に立派な人だったとしても、歌としての面白みがあまりなくて、聖徳太子について伝わるあふれる魅力を表すには役不足な感じがしなくもないのです。

 

次に、法隆寺のある地、斑鳩(いかるが)を詠んだものはと調べると、これも万葉集のなかに1首だけありました。

 

斑鳩の 因可(よるか)の池の 宜しくも 君を言はねば 念ひ(おもい)ぞ我(あ)がする

 

世界遺産、斑鳩の地の歌にしては、なんでしょう、法隆寺のことでもないし、聖徳太子のことでもないし、蘇我氏のことでもない、よくある恋の歌、というのが拍子抜けします。

 

斑鳩にある、因可池はとても良い池として有名なのに、あなたのことは、そんなふうに良いという評判は聞こえてこないので、私はとても思い悩んでいるのです。

 

私にはいい人なのに、みんな良く言わないのよね、という、恋のシチュエーションなのですね。

 

同じ恋の歌といっても、額田王のようなダイナミックなものでもなく、妻を恋しがる防人の涙を誘う哀れなものでもなく、悪い男に騙されているであろう可哀そうな女の歌、というのが、ちょっと腑に落ちない気持ちです。

 

そう思って調べてみたら、別の解釈もあるようでした。

 

斑鳩の因可池のように良いものだと、取り立ててあなたを誉める人は誰もいないので、かえって、私はあなたを恋しく思うのです。

 

そう、キミの良さは、ボクだけが知ってるんだよね、という、ちょっとオタク的ともいえそうな、静かな情熱の燃える、前向きな恋歌になるようです。

 

「宜し(よろし)」というのは、良し(よし)に少しだけ劣る、でも、まあ良い、という意味だそうで、因可池の「よし」と掛けているのですね。

 

そして、「念ひぞ我がする」という強調の部分も、こちらの解釈でとらえた方が、しっくりくるような気がします。

 

それにしても、ここで歌われた、「君」と「我」とは、いったい誰のことなのでしょう?

 

詠み人知らずのこの歌ですが、意味深な感じがしてきました。

 

もしかしたら、君というのは、聖徳太子なのではないか??と妄想してみると、謎がほどけてきた気がしないでもないのです。

 

少し長くなりそうなので、次回に続きます。