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秋の唐招提寺、第2回です。
境内で私が感じた、静謐な空気が漂う場所トップ3の一つである、鑑真和上の御廟についてお伝えします。
私が唐招提寺を訪れたのは、これで2回目ですが、鑑真和上の御廟に入ったのは、今回が初めてでした。
前回もお話したように、いま、永井路子さんの「氷輪」を読んでいます。鑑真とその弟子たちが来日した時代の話で、ちょうど物語も終盤になり、鑑真和上は亡くなってしまうところを読んでいました。
前回記事はこちらです。
https://beauty-kireininaru4.com/toushoudaiji-temple-nara/
唐招提寺の境内、北東の箇所に、鑑真和上の御廟があります。
奈良時代らしい土塀が続くなか、小さな門をくぐると、苔むした地と緑の木々の小さな庭がありました。
ちょうどそのとき、中には誰もいなくて、鳥の声だけが虚空に響くように聞こえてきました。静かです。
夕方近い秋の日差しが、緑の苔の上に差し込んできて、どこか異国の土地へワープしたような気分になりました。
あくまで純和風な庭なのですが、ほどよい手入れ感は、京都のお寺ほどのきっちり感がなく、それが返って野性味をほのめかしているかのようです。
誰もいない庭、というのは、想像力をかきたてられます。
私しかいないはずなのに、静けさが余りあまって、何かしら次元の違うなにものかの存在を、かえって意識させられるような。。
想像力がなくても、想像せざるを得ないような、はるかなる感情が押し寄せてきました。
道を進むと、小さな御廟の塔が祀られていました。その両サイドは公園風に広がって、沼のようになった池の水面が、鏡となって木々を映し出していました。
そういえば、鑑真和上の故郷にある木、というものも植わっていましたよ。
この場所の空気感が、あまりにも気持ち良くて、しばらく散歩させていただきました。
季節外れの蚊がいなければ、もっと長い時間いたかったのですが・・・
ここを出て、講堂の方に戻ることにしました。
今回、この講堂の北側の空き地が、「食堂(じきどう)跡」と境内マップに記されているのを見つけました。
前回は気が付かなかったのですが、いま現在、永井路子さんの「氷輪」を読んでいるおかげで、この「食堂跡」の場所にこそ、鑑真和上一行は当初住んでいたのではと、思いをはせることができました。
また、「講堂」は、平城宮から移築したものということで、これがかの藤原仲麻呂から下がりうけた建築物なのだろうかと、もやもや考えたりしていました。
「食堂跡」は、今はただの空き地になっていますが、この狭い空間で、和上一行が住み長らえていたのだと思うと、心がしずまってきて、おだやかな空気が漂うのを感じずにはいられません。
熱心な仏教徒でも聖職者でもない私ですが、ピースフルな空気は、人を幸せな気分にさせてくれると思っています。
歴史において、何が正解なのか、ということは、究極的には誰にも分らない。もしかしたら、今、現代においても、それは同じことなのかもしれません。。
それでも、人の心が残したものは、ひとつの精神となって、土地にしみこんでいるような気になるときがあります。受けとめる心にこそ、答えはあるのかもしれません。
木々の間から、でこぼことした地面を眺めつつ、遥か昔から今へと続く、ときの流れを見つめる思いでいました。
結局、鑑真の理想とする形では、仏教は日本に根付かなかったのかもしれません。あるいは、根付くには、まだまだその後に長い年月が必要だったのかもしれません。
宗教というものの存在自体が、いまの時代では揺らいでもいます。もしかしたら、ずっと揺らぎ続けてきているのかもしれません。
それでも、唐からはるばる海を越えて奈良に渡り、この地で生涯を終えた鑑真和上とその弟子の方々の人生とその理念を思うと、私のなかの荒ぶる心が静まるような気がしてきます。
次回は、境内の新宝館、秋季特別展で見た奈良時代の仏像と、東洋のトルソーのことなどについて記したいと思います。