- 投稿 2018/02/21
- NZ生活 - 夢見のよい朝わるい朝
懐かしい友だちの夢をみました。
ニュージーランドで仲良くなった、
コリアンのリディアです。
韓国人のほとんどは、イングリッシュ名をもっていて、
彼女もコリアン名とは別に、通称のそれを使っていました。
どこかの坂があって、彼女がそこから降りてくるのが見えます。
夢の中のことです。
夢のなかで、
リディアと話すことはありませんでした。
彼女が坂道をくだって歩いているところを、
遠くから見つめて、
話しかけもしないでいたのです。
リディアと知り合ったのは、
オークランドの国際調理師学校に入って2年目のときでした。
クラスの半分以上が中国人とインド人、
韓国人が2割ちょっと、あとはベトナムやフィリピン、
日本人は京美ひとり。
リディアは優秀な生徒でした。
学生対象のシェフのコンペティションに参加して、
金賞をとったこともあります。
日本人がイメージする韓国人の顔とは正反対の、
タヌキ顔のかわいい顔だちを持っていて、
フィリピン人によく間違われてきたと、
楽しげに話してくれました。
クッカリースクールは若い人の多い学校で、
数少ない同世代の仲間でもありました。
私たちは、すぐに仲良くなって、
学校のことだけでなく、
国のこと、家のこと、過去にあったあれこれを、
忌憚なく話し合うことができました。
リディアはダンナさんと一緒に、移住してきていました。
韓国では高学歴高収入のハードワーカーだったようですが、
ビザの関係で、主夫をしている彼との感情のもつれや、
中年になって異国に住むストレスを話す相手が欲しかったようで、
年齢といい、バツイチ経歴といい、
京美はその役にぴったりだったようです。
京美の方はというと、
今の彼と付き合い始めたところでもあり、
自分の感情や、ふだん話しにくいような女子バナも、
あれこれ聞いてもらっていました。
日本語だと、ついまわりくどくなる説明も、
英語だと率直に話す術しかなくて、
その率直さは、ユーモアを伴って、
リディアの心に響くこともありました。
また、
日々の出来事から露わになる価値観や、
親との確執、自身のコンプレックスなんかも、
話し合っていたように思います。
卒業間近のことです。
最後の実習で、
教官シェフのデモンストレーションを見ることになりました。
学校2年目は、座学が中心だったので、
実習の場所が、どの教室になるのか、
生徒たちに伝わりにくい状況でした。
教官シェフも、
事前にはっきり指示していなかったのです。
時間になっても、リディアの姿がみえません。
シェフの講義デモが始まったとき、京美の携帯が鳴りました。
リディアからです。
音声オフにはしていましたが、
シェフがすぐ目の前にいる状態で電話をとることもできず、
レセプションに聞けばすぐ分かることだと、
そのままにしてしまいました。
ほどなく姿を現したリディアに、
電話とれなくてごめんね、と伝えました。
リディアは、
シェフが悪いわよ、
昨日、レポート書けっていってたから、
いつもの教室でやるんだと思ったのに。
そう言って、
鬼のように怒った顔を京美に向けました。
シェフのいうレポートとは、
クラスにいる悪ガキ対策としてのジョークでした。
明日のテリーヌについて、レシピや起源、歴史、
もしくは街頭インタビューを行うかして、
レポート用紙1枚以上にまとめてきなさい、と。
すでに卒業課題はすべておわっていて、
それぞれの評価も判定が出ていた状態だったので、
まじめな日本人生徒だった京美でさえ、
ああ、冗談だな、と笑っていました。
そんな宿題、生徒は誰も信じなかったと思います。
さらにまじめなコリアン、リディアをのぞいては。
ニュージーランドに住み始めたころ、
自分のなかの韓国人への思いのなかに、
日本人らしい偏見がまじっていることを感じた京美でしたが、
1年2年と多くのコリアンたちと交流するうちに、
彼らの心のあたたかさや世話好きさ、やさしさに触れて、
そんな思いは吹っ飛んでしまっていまいた。
何度彼らに助けられたことでしょう。
だから、
いつでも、
自分は韓国人と仲良く、助け合っていきたい。
そんなふうにあつく思ったことも、
一度や二度ではありませんでした。
それなのに、
リディアの怒りの表情は、
そんな思いを蹴散らかして、
韓国人は、怒るとこわい、という偏見まじりの考えが、
京美の頭にもどってきました。
こわい。
そう思ったのです。
リディアの怒りの矛先は、
もちろん京美ではありません。
彼女もわかっているし、京美も分かっています。
なのに、です。
一方、その直後、
リディアは、シェフに満面の笑みを見せました。
講義のあとで、
リディアは卒業後の就職先について、
そのシェフに相談することにもなっていました。
そんな事情もあって、
いま、シェフに抗議するときではなかったのだと、
頭では理解できます。
それでも、
そう考えている自分とは別に、
もうリディアからは離れていたい、
と思ってしまったのです。
その思いを持ったままで、その後、
リディアと会うことはありませんでした。
お互い就職していそがしくなり、
近況報告をメールでテキストしあったりはしながらも、
実際に会うことはなかったのです。
移民法の改定があり、
たくさんの移住希望者が帰国するようになると、
リディアも韓国へ戻っていきました。
京美が帰国する少し前でしたが、
そのことについても、お互い連絡することはありませんでした。
ひどく残念な話です。
リディアの夢をみた朝、京美が気づいたのは、
あの怒りの表情は、実は京美じしんのものだったということです。
京美は、リディアの話を聞くのに疲れるようになっていました。
英語が堪能なリディアへのコンプレックスもあり、
話すことが億劫になって、
聞き役に徹することもありました。
でも、
本当はもっと話したかったのです。
そう思ったときに、京美は彼女に伝えるべきでした。
私は怒っていると。
あなたの話は半分にして、
もっと話を聞いてほしい、
そういえば、彼女は受け入れてくれたでしょうか。
わかりません。
いつかまた、と思う日もありましたが、
帰国して5か月が経ち、
今朝まで彼女のことは忘れていました。
平昌オリンピック、スピードスケートの小平奈緒選手と、
韓国のイ・サンファ選手二人の友情物語。
TVニュースやネット記事でみたのは、
リディアの夢を見た、その夜のことでした。