懐かしい友だちの夢をみました。

 

ニュージーランドで仲良くなった、

コリアンのリディアです。

 

韓国人のほとんどは、イングリッシュ名をもっていて、

彼女もコリアン名とは別に、通称のそれを使っていました。

 

どこかの坂があって、彼女がそこから降りてくるのが見えます。

夢の中のことです。

 

夢のなかで、

リディアと話すことはありませんでした。

彼女が坂道をくだって歩いているところを、

遠くから見つめて、

話しかけもしないでいたのです。

 

 

リディアと知り合ったのは、

オークランドの国際調理師学校に入って2年目のときでした。

クラスの半分以上が中国人とインド人、

韓国人が2割ちょっと、あとはベトナムやフィリピン、

日本人は京美ひとり。

 

リディアは優秀な生徒でした。

学生対象のシェフのコンペティションに参加して、

金賞をとったこともあります。

 

日本人がイメージする韓国人の顔とは正反対の、

タヌキ顔のかわいい顔だちを持っていて、

フィリピン人によく間違われてきたと、

楽しげに話してくれました。

 

クッカリースクールは若い人の多い学校で、

数少ない同世代の仲間でもありました。

私たちは、すぐに仲良くなって、

学校のことだけでなく、

国のこと、家のこと、過去にあったあれこれを、

忌憚なく話し合うことができました。

 

リディアはダンナさんと一緒に、移住してきていました。

韓国では高学歴高収入のハードワーカーだったようですが、

ビザの関係で、主夫をしている彼との感情のもつれや、

中年になって異国に住むストレスを話す相手が欲しかったようで、

年齢といい、バツイチ経歴といい、

京美はその役にぴったりだったようです。

 

京美の方はというと、

今の彼と付き合い始めたところでもあり、

自分の感情や、ふだん話しにくいような女子バナも、

あれこれ聞いてもらっていました。

 

日本語だと、ついまわりくどくなる説明も、

英語だと率直に話す術しかなくて、

その率直さは、ユーモアを伴って、

リディアの心に響くこともありました。

 

また、

日々の出来事から露わになる価値観や、

親との確執、自身のコンプレックスなんかも、

話し合っていたように思います。

 

 

卒業間近のことです。

最後の実習で、

教官シェフのデモンストレーションを見ることになりました。

 

学校2年目は、座学が中心だったので、

実習の場所が、どの教室になるのか、

生徒たちに伝わりにくい状況でした。

教官シェフも、

事前にはっきり指示していなかったのです。

 

時間になっても、リディアの姿がみえません。

シェフの講義デモが始まったとき、京美の携帯が鳴りました。

リディアからです。

音声オフにはしていましたが、

シェフがすぐ目の前にいる状態で電話をとることもできず、

レセプションに聞けばすぐ分かることだと、

そのままにしてしまいました。

 

ほどなく姿を現したリディアに、

電話とれなくてごめんね、と伝えました。

リディアは、

シェフが悪いわよ、

昨日、レポート書けっていってたから、

いつもの教室でやるんだと思ったのに。

 

そう言って、

鬼のように怒った顔を京美に向けました。

 

 

シェフのいうレポートとは、

クラスにいる悪ガキ対策としてのジョークでした。

明日のテリーヌについて、レシピや起源、歴史、

もしくは街頭インタビューを行うかして、

レポート用紙1枚以上にまとめてきなさい、と。

 

すでに卒業課題はすべておわっていて、

それぞれの評価も判定が出ていた状態だったので、

まじめな日本人生徒だった京美でさえ、

ああ、冗談だな、と笑っていました。

そんな宿題、生徒は誰も信じなかったと思います。

さらにまじめなコリアン、リディアをのぞいては。

 

ニュージーランドに住み始めたころ、

自分のなかの韓国人への思いのなかに、

日本人らしい偏見がまじっていることを感じた京美でしたが、

1年2年と多くのコリアンたちと交流するうちに、

彼らの心のあたたかさや世話好きさ、やさしさに触れて、

そんな思いは吹っ飛んでしまっていまいた。

 

何度彼らに助けられたことでしょう。

 

だから、

いつでも、

自分は韓国人と仲良く、助け合っていきたい。

 

そんなふうにあつく思ったことも、

一度や二度ではありませんでした。

 

それなのに、

リディアの怒りの表情は、

そんな思いを蹴散らかして、

韓国人は、怒るとこわい、という偏見まじりの考えが、
京美の頭にもどってきました。

 

こわい。

 

そう思ったのです。

リディアの怒りの矛先は、

もちろん京美ではありません。

彼女もわかっているし、京美も分かっています。

なのに、です。

 

一方、その直後、

リディアは、シェフに満面の笑みを見せました。

 

講義のあとで、

リディアは卒業後の就職先について、

そのシェフに相談することにもなっていました。

 

そんな事情もあって、

いま、シェフに抗議するときではなかったのだと、

頭では理解できます。

 

それでも、

そう考えている自分とは別に、

もうリディアからは離れていたい、

と思ってしまったのです。

 

その思いを持ったままで、その後、

リディアと会うことはありませんでした。

 

お互い就職していそがしくなり、

近況報告をメールでテキストしあったりはしながらも、

実際に会うことはなかったのです。

移民法の改定があり、

たくさんの移住希望者が帰国するようになると、

リディアも韓国へ戻っていきました。

京美が帰国する少し前でしたが、

そのことについても、お互い連絡することはありませんでした。

 

ひどく残念な話です。

リディアの夢をみた朝、京美が気づいたのは、

あの怒りの表情は、実は京美じしんのものだったということです。

 

京美は、リディアの話を聞くのに疲れるようになっていました。

英語が堪能なリディアへのコンプレックスもあり、

話すことが億劫になって、

聞き役に徹することもありました。

でも、

本当はもっと話したかったのです。

そう思ったときに、京美は彼女に伝えるべきでした。

 

私は怒っていると。

あなたの話は半分にして、

もっと話を聞いてほしい、

そういえば、彼女は受け入れてくれたでしょうか。

 

わかりません。

いつかまた、と思う日もありましたが、

帰国して5か月が経ち、

今朝まで彼女のことは忘れていました。

 

平昌オリンピック、スピードスケートの小平奈緒選手と、

韓国のイ・サンファ選手二人の友情物語。

TVニュースやネット記事でみたのは、

リディアの夢を見た、その夜のことでした。