今日は、ひとつやってしまいました・・
「やっちまった」ってヤツですね。
仕事のシーンで、
周りに頼ったり振り分けたりすればよかったのに、
ひとりでやってしまおうとしたんです。
あー、嫌われたかも・・
周りと上手くやっていくの、大変だな・・
とか一瞬思ったりしました。
こんなとき、どうしたらいいのか、探りたいと思います。
周囲にヘルプミーと言えればよかったんです。
でも、そのときは、
「なぜ周囲の人は手伝ってくれないんだろう?」
と思ってたりしたのです。
自分がやるしかない、という思い込み。
結局、自分がしんどいし、
周りには良く思われないし、
仕事全体としての効率も悪くなるし、
・・よいことがありません。
次からは、自分で背負うのはやめようと思います。
さて、
このことがあって、
周囲の人は、私、京美のことを、
一つのことしかみえない、やりにくい人、と思ったとします。
たぶん、そう思われたのでしょうが・・
そして、ことが終わってから、
自分の間違いに気づいた京美は、
自分が嫌われたかもしれない、
そうではなくても、
少なくとも、嫌な気持ちにさせてしまったのかも、
と思うようになるわけです。
これは間違いかもしれないし、間違いじゃないかもしれない。
問題は、この事実の受け止め方なのでしょう。
もし、「嫌われた」「嫌われてしまったかも」と、
悩んだり、気にするようでしたら、
それは、自分がどう見えるか、ということを気にしていることになるので、
要は、
自分中心の考え方をしているわけです。
これは、とても弱い自分、幼稚な自分でもあります。
一方で、
「一人で抱えこんでしまったけれど、本来ならみんなに手伝ってもらうべきだった。
自分だけでやってしまって申し訳ないことをした」
「そもそも、どうして、自分一人でやってしまったんだろう?」
「自分にはこれができるという、自己顕示欲だったのかもしれない」
「まわりに頼りにくい、自分の弱さだったのかも」
「一呼吸おいて、まわりを見ればよかった。周囲に助けを求められなかったのは、
社会人としては、未熟な証拠。周囲と調和できるような自分になれないだろうか?」
「もしなれないなら、ここにはいられない。でも、ここにいたいと思うなら、
もっと成長しなくちゃ」
「そう、今回は、ちょっとがんばりすぎたんだよね。
もうちょっと肩の力を抜けば、みんなともうまくやっていけるかも」
「嫌な思いをさせたかもしれないけど、別のシーンでは信頼してもらえるよう、
周りを頼りつつ、自分のスキルもレベルアップしていこう」
・・・こんなふうに、探りつづけたとしたら、
いくつかの気づきを得られていることになります。
それは、自分の視点だけでなく、
自分から離れて、
周囲の人たちの視点がどうなのかを、
見ていく強さを持てたことにもなりますよね。
強くなれたから、解決案も浮かび、
プラス思考もやってきてくれました。
逆説的ですが、
相手を尊重することで、
自分の考えにこだわりすぎない強さを、
持てるようになるのかもしれません。
視点を少し変えてみる。
自分を客観視して、
相手の視点で考えてみる。
そこから、
両者の調和、解決策を探ってみる。
こんな方法はいかがでしょうか。