- 投稿 2018/02/26
- 奈良ライフ
朝おきてお弁当を作っていたら、
乃木坂46の歌が頭のなかをぐるぐる回りだしました。
ちょっと前に、スーパーで聞こえてきた、
「いつかできるから今日できる」が、
なぜか今朝になって鳴りだして、
気分もハイになりました。
はい、この歌すきです。
秋元康さんの歌詞はすごいなあ、と思います。
どちらかというと男の子が言ってもらいたい言葉を、
かわいい女の子たちに歌わせてている、というのが、
そこから一番遠いところにいる子なしアラフィフ女としては、
自分には全く関係ないフィールドだよなーと、
これまで近づいたことがありませんでした。
でも、
あらためてじっくり聴いてみると、
案外そうでもないかなーと、思ったりします。
近づいたことがないのは、
西大寺もそうでした。
ほかの有名なお寺に比べて、
訪れてみたいという動機があまりなかったんです。
西大寺は、近鉄の乗り換え・乗り継ぎ駅として知られていますが、
奈良時代には、東大寺と並ぶほどのお寺だったようです。
それが、
平安時代にすたれてしまい、敷地も小さくなって荒れていたのを、
鎌倉時代に、叡尊という僧が再興しました。
以上、奈良検定の勉強で、知った知識です。。
そんなことで、
現在の西大寺にまつられている仏像の多くが、
この叡尊の鎌倉時代に作られたということでした。
そして、
ここにも秘仏がひとつ。
愛染明王像が、節分まで公開されていました。
秘仏といわれると見てみたくなるのが人情。
興味本位の軽い気持ちで出かけたのは雪の日でした。
愛染明王は、叡尊の念持仏で、
鎌倉時代の本物は秘仏として年2回公開、
それ以外の時期には、
江戸時代に制作された御前立(おまえだち・模型のこと)を拝することができます。
ホンモノの方には、朱の色が残っていて、
憤怒のお顔がりりしくチャーミングな明王さまでした。
そして、
ここで、京美は、
叡尊さまの偉業を知ったのです。
ときは鎌倉時代、
当時、僧たちの規律が乱れていたのを、
叡尊さまは、
お釈迦さまのころからの風習、真の授戒を行うなどで正していったり、
貧民や病人、とくにハンセン病患者や非人の救済を行ったというのです。
さらに、
元寇のとき、伊勢神宮や石清水八幡宮で祈祷をささげ、
かの神風を起こしたと伝えられるとか。
有名な話のようですが、京美は初めて知りました。
その祈祷の内容、ここがポイントなのです。
味方はもちろん、
敵方のモンゴルの兵士たちをも損なうことなく、
船を故国へ戻すように願ったというのです。
叡尊さまの願いの質が高いというかスゴイ・・
普通なら、敵をやっつけるとか、しりぞけるとか、
敵の安否まで気遣ったりしませんよね。。
これぞ真の僧侶、
平和と愛と正義の、凄いお坊さんの存在を、
なぜ今まで知らなかったのか、
学校で習った記憶もないし、
それとも習っていたのか??
鑑真や行基の名前は知っていても、
神風の真の意味をもっと学ぶべきなのではと、
つよく強く感じ入りました。
事実、神風が、敵人を無償で返すことはなかったので、
叡尊さまは力の至らなさを嘆いたとか・・・
とはいえ、
右にも左にも寄ることなく、
和を尊ぶ日本人のお手本のような僧の存在を、
今になって知ることができてよかったです。
貧民救済には、当時しいたげられていた女性の救済、
また尼寺の再興など、
どこまでも弱者の味方だった叡尊さま。
しかも、
机上の正義論ではなく、
それに必要な資金調達も実行していたのが、
リアルを忘れない真のロマンティストとして、
マザーテレサやキング牧師に通じると思うのは、
京美だけではないと思います。
そんな偉業の跡地としての西大寺、
奈良の歴史ってやっぱり面白いとしみじみします。
出かけていって、ホントよかった。
いつかできなくなるから今やっておかねば世代として、
思うこと、どんどん行動にしていきたいものです。