朝おきてお弁当を作っていたら、

乃木坂46の歌が頭のなかをぐるぐる回りだしました。

 

ちょっと前に、スーパーで聞こえてきた、

「いつかできるから今日できる」が、

なぜか今朝になって鳴りだして、

気分もハイになりました。

 

はい、この歌すきです。

 

秋元康さんの歌詞はすごいなあ、と思います。

どちらかというと男の子が言ってもらいたい言葉を、

かわいい女の子たちに歌わせてている、というのが、

そこから一番遠いところにいる子なしアラフィフ女としては、

自分には全く関係ないフィールドだよなーと、

これまで近づいたことがありませんでした。

でも、

あらためてじっくり聴いてみると、

案外そうでもないかなーと、思ったりします。

 

 

近づいたことがないのは、

西大寺もそうでした。

ほかの有名なお寺に比べて、

訪れてみたいという動機があまりなかったんです。

 

西大寺は、近鉄の乗り換え・乗り継ぎ駅として知られていますが、

奈良時代には、東大寺と並ぶほどのお寺だったようです。

それが、

平安時代にすたれてしまい、敷地も小さくなって荒れていたのを、

鎌倉時代に、叡尊という僧が再興しました。

 

以上、奈良検定の勉強で、知った知識です。。

 

そんなことで、

現在の西大寺にまつられている仏像の多くが、

この叡尊の鎌倉時代に作られたということでした。

 

そして、

ここにも秘仏がひとつ。

愛染明王像が、節分まで公開されていました。

 

秘仏といわれると見てみたくなるのが人情。

興味本位の軽い気持ちで出かけたのは雪の日でした。

 

愛染明王は、叡尊の念持仏で、

鎌倉時代の本物は秘仏として年2回公開、

それ以外の時期には、

江戸時代に制作された御前立(おまえだち・模型のこと)を拝することができます。

ホンモノの方には、朱の色が残っていて、

憤怒のお顔がりりしくチャーミングな明王さまでした。

 

そして、

ここで、京美は、
叡尊さまの偉業を知ったのです。

 

ときは鎌倉時代、

当時、僧たちの規律が乱れていたのを、

叡尊さまは、

お釈迦さまのころからの風習、真の授戒を行うなどで正していったり、

貧民や病人、とくにハンセン病患者や非人の救済を行ったというのです。

 

さらに、

元寇のとき、伊勢神宮や石清水八幡宮で祈祷をささげ、

かの神風を起こしたと伝えられるとか。

 

有名な話のようですが、京美は初めて知りました。

 

その祈祷の内容、ここがポイントなのです。

 

味方はもちろん、

敵方のモンゴルの兵士たちをも損なうことなく、

船を故国へ戻すように願ったというのです。

 

叡尊さまの願いの質が高いというかスゴイ・・

普通なら、敵をやっつけるとか、しりぞけるとか、

敵の安否まで気遣ったりしませんよね。。

 

これぞ真の僧侶、

平和と愛と正義の、凄いお坊さんの存在を、

なぜ今まで知らなかったのか、

学校で習った記憶もないし、

それとも習っていたのか??

鑑真や行基の名前は知っていても、

神風の真の意味をもっと学ぶべきなのではと、

つよく強く感じ入りました。

 

事実、神風が、敵人を無償で返すことはなかったので、

叡尊さまは力の至らなさを嘆いたとか・・・

 

とはいえ、

右にも左にも寄ることなく、

和を尊ぶ日本人のお手本のような僧の存在を、

今になって知ることができてよかったです。

 

貧民救済には、当時しいたげられていた女性の救済、

また尼寺の再興など、

どこまでも弱者の味方だった叡尊さま。

しかも、

机上の正義論ではなく、

それに必要な資金調達も実行していたのが、

リアルを忘れない真のロマンティストとして、

マザーテレサやキング牧師に通じると思うのは、

京美だけではないと思います。

 

そんな偉業の跡地としての西大寺、

奈良の歴史ってやっぱり面白いとしみじみします。

出かけていって、ホントよかった。

 

いつかできなくなるから今やっておかねば世代として、

思うこと、どんどん行動にしていきたいものです。