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夏の山での森林浴。
濃い緑の木々の葉が揺れて、鳥の声が聞こえてきます。
そんな現代にも通じる風景を、大伴家持(おおとものやかもち)は万葉集の中で詠っています。
今回は、家持の詠ったホトトギスの歌をお伝えしたいと思います。
万葉集のなかで、ホトトギスを詠った歌は155首あります。
そのなかで、大伴家持の歌は64首。
家持は、かなりホトトギスが好きだったようです。
夏山の 木末(こぬれ)の繁(しげ)に ほととぎす
鳴き響(とよ)むなる 声の遥けさ
意味は、以下の通りです。
「夏の山で、木々の梢の繁みに、ホトトギスが鳴き響かせているのが聞こえている。その声の遠く遥かなことといったら・・・」
溜息とも、感嘆ともとれるラストの体言止めから、この鳥の鳴き声が、いかに美しかったか、想像できるようです。
緑が濃くなっていく夏の山で、その声だけが聞こえてくる感じって、遠足とか、夏休みの旅行のときとか、覚えがありますよね。
山脈の連なる奈良の山のなかで、森林浴をしている気持ちになってくるかのような歌です。
ところで、ホトトギスの鳴き声というのを、私は知りませんでした。
それで、ネットで調べてみたら、いくつか見つけることができました。
ホトトギスの鳴き声、それは、ウグイスの声を少し伸ばしたようだと私は感じました。
自然の中で聞いたわけではないので、実際のものとは少し違うかもしれません。
それはともかく、家持にとってのホトトギスは、夏を心待ちにするほど、愛すべき鳴き声だったようです。
さらに、もう一首、こちらのすぐ後に詠われている歌をご紹介しましょう。
あしひきの 木の間(このま)立ち潜(く)く ほととぎす
かく聞き初めて のち恋ひむかも
「(あしひきの)山の木立ちの間を飛びくぐって鳴くホトトギスの声を、このように聞き初めたけれど、後になったら、もっと聞きたくなるのだろうか」
「あしひきの」は、山の枕詞で、この歌では山という言葉は出ていないものの、先の歌で山を詠っているので、ここではそれを受けて、山を表しています。
また、「立ち潜く」という言葉は、家持が作った言葉です。
ホトトギス独特の飛び方、その羽を羽ばたかせずに、素早く木立を通り抜けていく様を、この言葉で表しているのです。
たちくく。私は初めて聞いた言葉です。ほととぎすを知らなくても、その姿をイメージできる、美しい言葉だと思いました。
一度、聞いてしまったら、もう、その声を忘れることはできず、その声を知らなかった以前の自分には戻れず、ただただ、もう一度ききたい、何度でも聞いていたいと、思う気持ち。
恋ひむかも、という一語で、切ない喜びを表しているのがぐっときます。
それで、思い出した歌があります。
高校のときに習った歌で「逢ひみての後のこころに比ぶれば 昔はものを思はざりけり」です。
百人一首で有名なこの歌は、藤原敦忠(あつただ)の作です。
この「逢う」という言葉は、ただ恋人と会うだけのことではなくて、男女の契りを交わす、と言う意味だと習いましたね。
契りのあとでは、その前に恋しいと思っていたときとは比べ物にならないくらい、もっともっと会いたい、恋しく思う、というような意味だと教わって、へええ、と思った記憶があります。。
そういえば、高校で習った「源氏物語」は、男女がいいシーンになる直前で、いつも話がブツ切れてるなあ、と思っていたことを思い出しました。
だから、この歌を教えてもらったこと自体も驚きだったんですね。
そんなことも含めて、家持のホトトギスを詠ったこの歌は、この平安時代の歌へと流れているような気もしますし、さらには、家持の歌にも、どこか、鳥ではなく恋人のことをも暗に詠っているのではという気もしてきます。
家持の歌を、もう少しみていきたいと思います。