東洋の白雪姫、中将姫伝説を持つ當麻寺の見どころは何?

今回は、プロのガイドさんに連れて行ってもらって、當麻寺(たいまでら)に行ってきました。

 

當麻曼荼羅を作った、東洋の白雪姫ともいわれる、中将姫伝説ゆかりのお寺です。

 

また、飛鳥時代の仏像が残る、貴重な場所でもあります。

 

古代豪族や渡来人が住んだ、葛城(かつらぎ)の地で、かの二上山の麓にある「當麻寺」の魅力をお伝えしたいと思います。

 

近鉄当麻寺駅から、歩いて15分、ゆるやかな山の斜面に鎮座するのが「當麻寺」です。

 

二上山を拝するように、参道をあがって、まずは「仁王門」をくぐります。

 

當麻寺といえば、「死者の書」(折口信夫著)の印象も強い方もいるのではないでしょうか。

これを原作にした、近藤ようこさんの漫画「死者の書」で、この仁王門もまた描かれていたのを思い出しました。

 

當麻寺の「金堂」、「講堂」、「東塔」、「西塔(現在修復中)」そして「二上山」も、この漫画に描かれているので、興味のある方はぜひご覧ください。

 

さて、中将姫は、藤原豊成の娘といわれ、かの藤原仲麻呂の姪にあたるとされています。

 

仲麻呂については、こちらです。

https://beauty-kireininaru4.com/fujiwaranonakamaro-manyousyu/

 

中将姫は、実在の人物であるかどうかは分かっていないのですが、中将姫伝説として、白雪姫にも似たストーリーが有名です。つまり、継母に疎まれて山で殺されそうになるのです。

 

家臣の機転で、命を救われた中将姫は、その後、父親と再会して家に戻り、さらに出家をしてしまいます。

大変に頭の良い、よくできた姫君だったそうで、長谷観音のお告げによって、「當麻曼荼羅」を織り上げました。

 

蓮の糸で、一夜にして織り上げた、と伝承されていますが、実際は、絹糸で織られたもので、大陸から伝わったものではないか、という説もあるようです。

 

とはいうものの、中将姫伝説は、長く人々に語り継がれてきた物語であり、曼荼羅は信仰の対象となってきた歴史があるのも事実なのです。

 

中将姫は、29歳のときに極楽浄土へ生きたまま旅立ったといわれています。

 

①本堂の曼荼羅

 

本堂に祀られているのが、この「當麻曼荼羅」で、4m四方の大きな曼荼羅絵図です。

 

奈良時代のものは、博物館に保管されていて、お寺にあるのは転写本になります。
転写本といっても、室町時代と江戸時代のものがあり、これらもまた真の曼荼羅として祀られているのです。

 

うす暗いお堂のなかで見た、織物絵は、正直なところ、全体的に薄茶色で、鮮明な絵面は期待できませんでした。
ですが、迫力は十分あって、しばらく正座などして座っていたくなります。

 

葛城は、役行者ゆかりの地でもあるので、本堂には、「役小角」と「前鬼・後鬼」の像もありました。

 

②講堂の阿弥陀如来

 

こちらの講堂では、平安時代の「阿弥陀如来」を中心に、同じく平安時代の「妙童菩薩」、鎌倉時代の「地蔵菩薩像」などが祀られていました。

 

妙童菩薩は、西大寺にある善財童子の柔らかな表情のお顔と共通したものがあるように感じて、興味深かったです。

 

③写仏のできる、中の坊庭園

 

ところで、私、生まれて初めて、「写仏」を体験してきました。

写経ならぬ、写仏(しゃふつ)です。

 

當麻寺には、大和三名園の一つ、「中之坊」があります。

こちらの本堂で、中将姫は出家の剃髪をしたとされています。

 

さらに、池泉回遊式庭園の香藕園(こうぐうえん)、書院・茶室、そして、この写仏のできる写仏道場があるのです。

筆や半紙、タオルまでついているので、便利です。

 

実は、写仏って、何?と、行ってみるまで想像できなかった私ですが、線画になった仏画を、墨筆で、上からなぞっていく、なぞり絵のような感じでした。

 

仏画は色々あって、このお寺メインの當麻曼荼羅の阿弥陀如来さまや観音、勢至菩薩のお顔、不動明王、弥勒菩薩などで、私は、「導き観音」さまを選びました。

 

墨と筆を持ったのは、実に20年ぶりくらいです。

おそるおそる、まずは練習用の紙に描かれている「パーツ」をなぞってから、いよいよ本番です。

 

説明書には、息を吐きながら描いてください、と記されていましたが、どうしても息をつめて描いてしまいます。

 

手に墨がついてにじまないように、絵を描く、というよりは、線をなぞるつもりで、右手の場合は、左から右へとつぶしていく、というのがコツなような気がしました。

 

達人の方は、ぜひ、絵画をえがくように筆を使ってください!

 

描く前、なぞる前は、こんな感じです・・・
薄い色の線がすでに描かれていて、この上を筆でなぞるわけです。


こんな感じに出来ました。
慣れない筆使いにとまどいながらも、無心になれたのが楽しかったです。

 

ところで、「導き観音」とは中将姫の守り本尊のことで、中之坊の本堂に祀られています。
実際の仏像は、この絵よりも、もう少し童女っぽい表情のようにみえました。

 

写仏したものは、持って帰ることもできますし、下部に願い事などを記して、奉納することもできます。

 

また、當麻曼荼羅の、極彩色の模写版が、写仏部屋の正面に祀られていたので、本堂ではよく見えなかった細部までを、こちらで見ることができました。

これもまた、写仏する利点かもしれません。

 

さて、写仏のあとは、お庭を見てまわりました。香藕園(こうぐうえん)です。
東塔をのぞむ、大変に風情あるお庭でした。

ボタンの季節(4月末~5月頭)には、たくさんの人が訪れるようです。

 

④第二のメイン、金堂の弥勒如来と四天王

 

いよいよ、金堂に祀られている「弥勒菩薩像」です。

 

飛鳥時代、白鳳文化の仏像で、南都焼き討ちで、羅髪など破損している部分があるものの、1400年もの時を経てそこに在るお姿に、静かな感動を覚えました。

 

弥勒菩薩の周囲には、同じく白鳳文化の「四天王像」が祀られていて、端正なお顔だち、背丈の高さなど、迫力満点です。

百済からの献納とも云われる四天王のうち、多聞天だけは鎌倉時代のものです。

 

飛鳥時代の四天王像のお顔は、日本人には見えず、唐や百済というよりも、大陸の人を思わせる、彫の深い、かなりのイケメンです。

 

中将姫の生きたであろう時代より、さらに以前の時代から、今ある現代まで、様々な歴史を見てきたであろう、當麻寺金堂の仏像たち。

ときの流れをしみじみと感じさせてくれる、貴重な空間でした。

 

⑤釜めしと中将まんじゅう

 

當麻寺の門前には、いくつか飲食店があります。

 

そのうちの一つ、釜めしの「玉や」さんで、お昼ご飯をいただきました。

私がいただいたのは、地鶏の釜めし(大和肉鶏)で、このほかに、大和ポークの角煮釜めし、大和牛の時雨牛釜めし、季節の釜めしがありましたよ。

 

近鉄当麻寺駅周辺には、名産よもぎ餅の「中将もち」があり、買い求めに来た、たくさんの人で賑わっていました。

 

⑥まとめ

 

「當麻寺」散策、いかがでしたでしょうか。

 

當麻曼荼羅の拝観はもちろんのこと、飛鳥仏像である弥勒如来に、凛々しい四天王回遊式庭園の中之坊、それに写仏と、心洗われる体験ができる葛城へ、古代ロマンを味わいにぜひお出かけください。