横浜で、友人の結婚式に行ってきました。

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ニュージーランドで知り合った、

一回り半も年下の友なので、

気分はどちらかというと、

友人というより、姪っ子のお式というところでしょうか。

ちょうど桃の節句でもありました。

 

それにしても、

教会スタイルの結婚式は、感動的でした、

扉が開いて、

純白のウエディングドレスに包まれた新婦の姿は、

神々しいほどに輝いて、

親族でもないのにウルウルしてしまいます。

 

カタコト日本語の神父さんの言葉も、

ときに笑いをさそう楽しいものでした。

 

新郎新婦は、今もニュージーランドに住んでいるので、

式を日本であげるのは大変だったと思います。

準備もそうだし、帰国費用もかかるし、

それでも、式をあげるのは、

やっぱり女性の夢だからかなと思っていました。

 

心のこもった、あったかい披露宴でした。

お色直しもなく、スピーチもひとつもなく、

ただ順番に、新郎新婦二人で各テーブルをまわって、

お客とおしゃべりしていく、という進行でした。

二人の意向だったんだと思います。

 

両親への手紙を読み上げる、というのもなかったです。

かわりに、

途中、新郎の両親に、

ケーキのファーストバイトをお手本でしてもらう演出が、

なかなか盛り上がったのと、

新婦の100歳になる大叔母さまへ、

感謝の言葉を贈るシーンがあって、とても感動しました。

 

耳の遠いであろう大叔母さまに、

画用紙に書かれた文字を見せながら、

新婦がメッセージを読み上げます。

100歳という長寿のお姿と、

新婦の感謝と尊敬の心が伝わってきて、

あたたかいものが胸にせまりました。

 

子どものいない京美ですが、

そうか、

もし姪っ子に子どもができたら、

その子の結婚式には大伯母として出席できるなーと、

先に生き抜く希望をひそかに見つけましたよ。

 

披露宴では、

あくまで招待客に楽しんでもらうことを第一に考えていたようで、

これまではもちろん、

これからもお付き合いをしていきたいから、という

二人の気持ちが素直に感じられて、ありがたかったです。

 

親族や友人たちへのお披露目だから、

自分たちのためではなくて、

あくまで来てくれた人のため、

でも、

それはつまるところ、

親への感謝のあらわれにつながるんだな、と

いまさらながら気づかせてもらった時間でした。

 

ずいぶん前の話になりますが、

映画監督の河瀨直美さんと、お話したことがあります。

まだどちらも20代半ばすぎ、

河瀨さんは、初めての長編作を作られた頃のことでしたが、

上映会のアンケートを書いたお客全員に、

感謝のハガキを送ってきてくださったのです。

 

調子にのって、それにまたお返事のお手紙を送ると、

すぐにまたお返事してくださったりして、

しばらくお手紙でのお付き合いがありました。

 

表現とはうんぬん、なんて、

青くさいことを書いていた京美に、

河瀨さんはあるときこんな一節をくれました。

 

おはようの挨拶も、いってきますの言葉も、

みんなみんな表現だから。

 

25年近くたって、やっとその意味を実感できてきました。

ていねいに生きる。

それが自分に対して、周囲に対しての表現であるのかもしれません。

そして、

なぜ自分自身が、いつまでたっても独りぼっち感から抜けられないのか、

それは、

表現は孤で行うものだとしても、

孤のままにとどまるものではないから、

そこの意識をほんの少し変えてみるだけでも、

明日から見える風景は変わるかもしれない。

 

変わることができたら、

また次へ進んでいけると、思いあたりました。

 

結婚式とその披露宴、という表現。

これも立派なアートだったんですね。

苦しくても真摯に向き合えば、

得るものも大きくて、喜びも楽しみも手に入る。

人生はアートで、まだまだこれから彩っていくものだと、

教えてもらった雛祭りでした。