万葉集の編者といわれる、大伴家持(おおとものやかもち)は、自然を讃えるだけでなく、たくさんの相聞歌も詠んでいます。
若い頃は、幾人かの女性にあてて、歌っていたようです。
そんな家持が詠んだ、恋の歌について、お伝えしたいと思います。
大伴家持の妻になったのは、坂上大嬢(さかのうえのおおいらつめ)という人でした。
二人は、従兄妹どうしで、家持とは十代の頃に交流があったようですが、途中でぱったりと会わなくなります。
その後、家持は、何人かの女性と相聞歌をかわし、妾(しょう)をめとったようですが、その女性は亡くなってしまいます。
その後、20代半ばの家持は、叔母の家で、坂上大嬢と再会します。
幼い頃の恋が、ふたたび燃え上がるのですね。
そんな頃に詠んだ歌がこちらです。
人も無き国もあらぬか 吾妹子(わぎもこ)と 携(たづさ)ひ行きて副(たぐ)ひて居らむ
「他に、誰もすんでいない国はないだろうか。そうすれば、あなたと二人で手をつないで、よりそいながら暮らしていけるのに・・・」
情熱的な、恋の歌です。
再会した場所は、坂上大嬢の母で、家持の叔母である、大伴坂上郎女(さかのうえのいらつめ)の竹田の別荘だったようです。
今の、橿原市のあたりです。
二人の間に、障害はなかったのですが、当時の風潮からいっても、男女がおおっぴらに手をつないで歩く、ということは考えられなかったようで、「それならいっそ誰もいないところへ行ってしまいたい」と歌うなんて、家持青年のパッションが感じられて面白いです。
この歌の前に、家持はもう一つ歌を詠んで、坂上大嬢に送っています。
萱草(わすれぐさ)我が下紐に付けたれど 醜(しこ)の醜草(しこくさ) 言(こと)になりけり
「わすれ草を、衣の下紐に付けると、苦しい恋心を忘れられるかと思ったけれど、なんだ、ちっとも忘れられないじゃないか。つまらない、役立たずの草だ、忘れ草とは、名前だけだな」という意味でしょうか。
わすれ草、とは、夏の野山に咲くユリ科のヤブカンゾウのことで、オレンジ色の花を咲かせます。
これを下着につけると、物忘れできるという言い伝えがあったのでしょう。
やってみたけれど、効果がない。あなたを想う心は一向に忘れられず、思いは募るばかりだ、という気持ちを、言外に表しているのかもしれませんね。
本当に試してみたのでしょうか?
そうだとしたら、なかなか可愛いです。
さて、二人は、このあとも、いくつも歌を詠み交わします。
障害がないとはいえ、なかなか二人がゆっくりと会う機会はなかったようで、だからこそ、燃え上がった恋だったのかもしれません。
まさか、七夕の織姫彦星のような年に一度、ということはなかったでしょうけれど、現代のように、気軽に手をつないで外を歩くなんて、夫婦といえど、夢のまた夢だったと思うと、それが日本の美学と思う反面、切ない気持ちになります。
政争を憂えたり、自然の美しさに感嘆するだけでなく、友をからかったり、恋に身をやつしたりと、人間味あふれる家持。
友をからかった歌はこちらです。
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家持の若き日の姿が、少し新鮮にも感じられる、恋の歌でした。