- 投稿 2018/02/19
- 奈良ライフ
午後、ポストに通知が到着。
奈良通2級、無事にうかりました!
ありがとうございます!!
さて、
奈良通検定2級に出てくる過去問で、
垂仁天皇陵のお濠に浮かぶ、小島のことが出されています。
小島の名前を、田道間守と書いて、
たじまもり、と読みます。
垂仁天皇の家臣であり、
命をうけて、常世の国(中国かインド)へ、
非時香菓(ときじくのかくのみ)なるものを、
探しにでかけた、という伝説があるそうです。
この島の名前が、出題なのですが、
そんな、かぐや姫の問うた無理難題のようなお話、
信じがたい夢物語のような気がします。
奈良通検定問題では、名前にとどまっていますが、
調べてみると、
田道間守は、無事に持ち帰って、帝に献上したところ、
すでに崩御されていたということで、
嘆き悲しんで自害してしまったと伝わっているようです。
そのかぐや姫の難問の答えは何だったかというと、
どうやら、橘のことらしいのです。
垂仁天皇陵のすぐそばに、小さな畑が広がっていて、
そこには、この非時香菓、つまり橘の木を保存しようと、
苗木が植わっていて、募金箱が置かれていたりするのを見ました。
忠臣というのも、橘というのも、
京美の日常からは、もうひとつピンとこないのですが、
橘は、ミカンに似た果実がなるそうで、
そういえば、着物の柄に、橘がありました。
おめでたい意味があったように記憶しています。
家紋にもありますよね。
そもそも、
なぜ帝が、この橘を求めたのかといえば、
不老不死の霊薬と信じられたからだそうです。
ただの樹がほしかったわけではなく、
永遠の命というのか、
そういうことだったのですね。
もうお一方、垂仁天皇の家臣で、
野見宿禰(のみのすくね)という人がいます。
これまた帝の命で、出雲より相撲の名手として呼び寄せられ、
相撲を行って勝利し、家臣になったとか。
そののち、
帝のお妃がなくなったときに、
それまで殉死の風習があったのを、
埴輪にかえる提案をしたとかで、
土師臣(はじのおみ)という姓を賜ったということです。
この土師氏は、その後、菅原の姓をもらいうけます。
この菅原とは、土地の名前だったようですが、
かの菅原道真公が生まれた、
という伝承がある場所でもあるんです。
これ、
奈良通検定には出てこないので、調べてみると、
このお話の起源は、日本書紀だそうで、
考古学的には認められていないとのことです。
だから、検定問題にはとりあげられなかったんでしょうね。
この埴輪の話を聞いたときは、
すごい!
と感動しましたが、
よくよく考えてみると、
出雲のことといい、後付けの神話のような気もしてきます。
それでも、
力を持った氏がいたことは事実でしょうし、
垂仁天皇の家臣として、偉業をたたえたい、
子孫のプライドと尊敬の心が生み出した物語なのかもしれません。