午後、ポストに通知が到着。

 

奈良通2級、無事にうかりました!

ありがとうございます!!

 

 

さて、

奈良通検定2級に出てくる過去問で、

垂仁天皇陵のお濠に浮かぶ、小島のことが出されています。

 

小島の名前を、田道間守と書いて、

たじまもり、と読みます。

垂仁天皇の家臣であり、

命をうけて、常世の国(中国かインド)へ、

非時香菓(ときじくのかくのみ)なるものを、

探しにでかけた、という伝説があるそうです。

 

この島の名前が、出題なのですが、

そんな、かぐや姫の問うた無理難題のようなお話、

信じがたい夢物語のような気がします。

 

奈良通検定問題では、名前にとどまっていますが、

調べてみると、

田道間守は、無事に持ち帰って、帝に献上したところ、

すでに崩御されていたということで、

嘆き悲しんで自害してしまったと伝わっているようです。

 

そのかぐや姫の難問の答えは何だったかというと、

どうやら、橘のことらしいのです。

 

垂仁天皇陵のすぐそばに、小さな畑が広がっていて、

そこには、この非時香菓、つまり橘の木を保存しようと、

苗木が植わっていて、募金箱が置かれていたりするのを見ました。

 

忠臣というのも、橘というのも、

京美の日常からは、もうひとつピンとこないのですが、

橘は、ミカンに似た果実がなるそうで、

そういえば、着物の柄に、橘がありました。

おめでたい意味があったように記憶しています。

家紋にもありますよね。

 

そもそも、

なぜ帝が、この橘を求めたのかといえば、

不老不死の霊薬と信じられたからだそうです。

 

ただの樹がほしかったわけではなく、

永遠の命というのか、

そういうことだったのですね。

 

 

もうお一方、垂仁天皇の家臣で、

野見宿禰(のみのすくね)という人がいます。

これまた帝の命で、出雲より相撲の名手として呼び寄せられ、

相撲を行って勝利し、家臣になったとか。

そののち、

帝のお妃がなくなったときに、

それまで殉死の風習があったのを、

埴輪にかえる提案をしたとかで、

土師臣(はじのおみ)という姓を賜ったということです。

 

この土師氏は、その後、菅原の姓をもらいうけます。

この菅原とは、土地の名前だったようですが、

かの菅原道真公が生まれた、

という伝承がある場所でもあるんです。

 

これ、

奈良通検定には出てこないので、調べてみると、

このお話の起源は、日本書紀だそうで、

考古学的には認められていないとのことです。

 

だから、検定問題にはとりあげられなかったんでしょうね。

この埴輪の話を聞いたときは、

 

すごい!

 

と感動しましたが、

 

よくよく考えてみると、

出雲のことといい、後付けの神話のような気もしてきます。

 

それでも、

力を持った氏がいたことは事実でしょうし、

垂仁天皇の家臣として、偉業をたたえたい、

子孫のプライドと尊敬の心が生み出した物語なのかもしれません。