NHKのBSドラマ「我が家の問題」の第三回、

「初めての里帰りに悩む妻」をみました。

 

途中からだったのですが、

CMを見たときから気になっていたので、

見ることができてよかったです。

 

最初の結婚のとき、

この里帰りというか、彼の実家に行くというのが、

苦痛でたまりませんでした。

 

というのも、

結婚式をあげて五日経った、最初の金曜日の晩、

勤めから帰宅した前夫が開口一番いったのです。

 

さあ、おふくろのところに行くぞ。

 

夕食も用意されているようでした。

ちなみに、

そのときの新居は、彼の実家のすぐ近く。

歩くと15分くらい、

坂の上までバイクに二人乗りして、上っていった記憶があります。

 

義父は、前夫が学生の頃になくなっていて、

義兄はそれ以前から家をでており、

義母と前夫は長く二人で暮らしていました。

 

そして、こちらはそれと似たような、反対の状況で、

学生時代に実母がなくなり、

妹はまもなく家を出て、

京美は結婚するまで、実父と二人で暮らしていたのです。

これまた、壮絶な日々でもあったのですが、

それはまた別の話です。

 

そんな似た者どうしで、

親をなくした悲しみとか、不自由と自由さとか、

一人親への思いとか、

経験者どうしだからこそ分かりあえるのではと、

結婚当初は信じていました。

 

年齢は、実父より義母の方が10ほど上ということもあり、

彼の実家近くに住むことは、納得していました。

そこは京美にとって憧れの地域でもあり、

望んだ環境に、自ら選んで住むんだという思いもありました。

でも、

これは自分を言いくるめていたのだと思います。

 

金曜日の晩に、彼の実家へいき、

お呼ばれすると、

そのまま泊まっていったら、ということになりました。

断ることができないまま、

土曜の夜も泊まっていくことになりました。

 

つらい週末同居のお務めが始まったのです。

 

なぜ京美は、断れなかったのでしょうか。

嫌なものを嫌と、ノーということができなかったのでしょうか。

本当にナゾです。

結婚とはこういうもんだと、

自分を言いくるめていたのでしょうが、

なんのために?だれのために?

自分の意志とは反する方向へ流されるまま、

何の手も打とうとはしなかったのです。

 

本当に不思議です。

自分の性格は、はっきりと主張するものだと思っていたのに。

前夫にさえ、その思いを話す機会を持ちませんでした。

 

理由の一つに、

そのとき、京美は仕事をやめて、

ある資格試験を受けようとしていました。

勉強させてもらうのに、

これくらいのことは耐えなければ。

そんな見当違いの忍耐を、自分に強いていたように思います。

 

結局、この資格試験は、結婚2年後に断念するのですが、

そもそも、

難しい試験を受けるのに、なぜ結婚してしまったのか。

 

家庭と勉強は、両立できると思っていたのです。

ただ、

仕事と家庭と勉強の3本柱はムリだと、さすがに思っていました。

だから、

仕事は結婚と同時にやめたのです。

 

でも、これ、おかしいですね。

週末同居は、勉強のためにも家庭のためにも、

プラスになりませんでした。

 

母のいないさみしさもあって、

京美は、義母との食事時の会話を、

はじめはとても楽しんでいました。

ですが、

2時間、3時間、そして1泊、2泊となると、

しんどくてたまらず、

それをしんどいと夫に話せない自分がもっとしんどくて、

週明けはへとへとになっていました。

 

なぜ、勉強させてもらってる、

なんて卑屈に考えていたのでしょうか。

どうして思うように振る舞えなかったのでしょう。

 

この週末同居は、2年続きました。

前夫が仕事を急に辞めたので、

京美がかわりに外に働きに出るようになったからです。

 

ドラマのなかで、

水川あさみさん演じる主人公の新妻に、

益岡徹さん演じる義父が、

以前同居を迫ったことは忘れてくれ、というシーンがありました。

東京で、仕事をうまくやれているわけではないけれど、

思うようになるよう、もう少しがんばりたい、

と話す主人公に、

 

それが普通だ。思うようにやったらいい。

 

と語る義父のセリフに、うるうるきました。

 

そう言ってもらいたかった、

いえ、自分自身にそう言ってやればよかったと、

今になって思うのです。

 

その後、10年も経ってから、

やっと言えるようになりました。

つまり、離婚を決意したということですが、

そうなるには、まだいくつかの試練が待っていました。

自分をグレーテルだと思うことが必要だったのです。