- 投稿 2018/02/19
- 今は昔のこと
NHKのBSドラマ「我が家の問題」の第三回、
「初めての里帰りに悩む妻」をみました。
途中からだったのですが、
CMを見たときから気になっていたので、
見ることができてよかったです。
最初の結婚のとき、
この里帰りというか、彼の実家に行くというのが、
苦痛でたまりませんでした。
というのも、
結婚式をあげて五日経った、最初の金曜日の晩、
勤めから帰宅した前夫が開口一番いったのです。
さあ、おふくろのところに行くぞ。
夕食も用意されているようでした。
ちなみに、
そのときの新居は、彼の実家のすぐ近く。
歩くと15分くらい、
坂の上までバイクに二人乗りして、上っていった記憶があります。
義父は、前夫が学生の頃になくなっていて、
義兄はそれ以前から家をでており、
義母と前夫は長く二人で暮らしていました。
そして、こちらはそれと似たような、反対の状況で、
学生時代に実母がなくなり、
妹はまもなく家を出て、
京美は結婚するまで、実父と二人で暮らしていたのです。
これまた、壮絶な日々でもあったのですが、
それはまた別の話です。
そんな似た者どうしで、
親をなくした悲しみとか、不自由と自由さとか、
一人親への思いとか、
経験者どうしだからこそ分かりあえるのではと、
結婚当初は信じていました。
年齢は、実父より義母の方が10ほど上ということもあり、
彼の実家近くに住むことは、納得していました。
そこは京美にとって憧れの地域でもあり、
望んだ環境に、自ら選んで住むんだという思いもありました。
でも、
これは自分を言いくるめていたのだと思います。
金曜日の晩に、彼の実家へいき、
お呼ばれすると、
そのまま泊まっていったら、ということになりました。
断ることができないまま、
土曜の夜も泊まっていくことになりました。
つらい週末同居のお務めが始まったのです。
なぜ京美は、断れなかったのでしょうか。
嫌なものを嫌と、ノーということができなかったのでしょうか。
本当にナゾです。
結婚とはこういうもんだと、
自分を言いくるめていたのでしょうが、
なんのために?だれのために?
自分の意志とは反する方向へ流されるまま、
何の手も打とうとはしなかったのです。
本当に不思議です。
自分の性格は、はっきりと主張するものだと思っていたのに。
前夫にさえ、その思いを話す機会を持ちませんでした。
理由の一つに、
そのとき、京美は仕事をやめて、
ある資格試験を受けようとしていました。
勉強させてもらうのに、
これくらいのことは耐えなければ。
そんな見当違いの忍耐を、自分に強いていたように思います。
結局、この資格試験は、結婚2年後に断念するのですが、
そもそも、
難しい試験を受けるのに、なぜ結婚してしまったのか。
家庭と勉強は、両立できると思っていたのです。
ただ、
仕事と家庭と勉強の3本柱はムリだと、さすがに思っていました。
だから、
仕事は結婚と同時にやめたのです。
でも、これ、おかしいですね。
週末同居は、勉強のためにも家庭のためにも、
プラスになりませんでした。
母のいないさみしさもあって、
京美は、義母との食事時の会話を、
はじめはとても楽しんでいました。
ですが、
2時間、3時間、そして1泊、2泊となると、
しんどくてたまらず、
それをしんどいと夫に話せない自分がもっとしんどくて、
週明けはへとへとになっていました。
なぜ、勉強させてもらってる、
なんて卑屈に考えていたのでしょうか。
どうして思うように振る舞えなかったのでしょう。
この週末同居は、2年続きました。
前夫が仕事を急に辞めたので、
京美がかわりに外に働きに出るようになったからです。
ドラマのなかで、
水川あさみさん演じる主人公の新妻に、
益岡徹さん演じる義父が、
以前同居を迫ったことは忘れてくれ、というシーンがありました。
東京で、仕事をうまくやれているわけではないけれど、
思うようになるよう、もう少しがんばりたい、
と話す主人公に、
それが普通だ。思うようにやったらいい。
と語る義父のセリフに、うるうるきました。
そう言ってもらいたかった、
いえ、自分自身にそう言ってやればよかったと、
今になって思うのです。
その後、10年も経ってから、
やっと言えるようになりました。
つまり、離婚を決意したということですが、
そうなるには、まだいくつかの試練が待っていました。
自分をグレーテルだと思うことが必要だったのです。