奈良コトミのブログ

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海外経験後、奈良に移住して目覚めた、歴史と日常についてのあれこれ。

ニュージーランド「イクスキューズミー」バス事件を思い出した

  • 投稿 2018/02/22
  • NZ生活

神戸まで遠出をした、帰りの電車の中でのことです。

 

大阪に近くなったある駅から、

小学生の団体が大勢のりこんできました。

校外学習の帰りでしょうか。

4年生くらいだったかと思います。

 

2車両ほどをほぼ占領する数で、

昼間の空席が多いなか、

その席を埋めてもまだひしめきあって立ち並んでいました。

 

集団で外に出る楽しさや珍しさもあって、

彼らはくちぐちにしゃべり、笑い、

ときには軽くたたき合ったりして、

コミュニケーションを楽しんでいます。

 

ですが、

それに挟まれて、電車よりも揺れ幅の大きい子どもたちに、

業を煮やした京美は、

 

まっすぐ立とうね。

 

と声かけました。

 

なんですかぁ、と尋ねてくるので、

もう一度おなじ言葉をかけると、

 

わかりました!

すみませんでした!

 

と口々に言うので、思わず、

 

エライ!

 

と言ってしまいました。

 

公共の場でのしつけを子どもに促すほど、

今の大人がリッパだとはいえないかもしれませんが、

それでも、野放しがいいことだとは思えません。

つきそいの教師が、

騒がしい子を注意するところは見かけませんでしたが、

いまどきの親のこわさ所以でしょうか。

 

 

公共の場といえば、

ニュージーランドでバス通学していたときのことを思い出しました。

 

あるとき、

時間より遅れてやってきたバスに、

一番に乗り込んだのは、金髪の女子で、

バックパックほどではないけれど、

大きめのリュックを背負っていました。

 

おりしも、雨が降り始めたところで、

同じバスに乗ろうと、

ほかにも何人か並んでいました。

 

2番目に並んでいた京美は、

ホップカードという、IC乗車カードを持っていたので、

機械にカードをかざせばすぐに席へ向かえたのです。

 

バスに乗るときは、

運転手さんのいる前方ドアから乗って、

カードを持ってない場合は、

そこで行き先をつげて、現金で支払います。

 

その金髪女子は、カードを持っていなかったようで、

昇降台に立って、財布をとりだしました。

 

時間がかかりそうで、

普段ならそのまま待つのですけれど、

雨が降ってきて、人が後ろに並んでいる状況が気になりました。

ちょっとつめてもらえば、

その金髪女子の横を通り抜けられると思い、

横に並ぶように立って、気づいてもらおうとしました。

ですが、彼女は気づきません。

自分が大きな荷物で通り道をふさいでいるという認識はないようでした。

日本だったら、

こんなことはないのに、と腹立たしくもあり、

つい押しのけるようにして、

バスの中に乗り込みました。

 

バスが発車してから、

金髪女子は、怒りながら京美の席にやってきました。

 

なんで、さっき押したのよ!

 

とかなんとか言ってます。

 

白人には行き過ぎた個人主義があると、

その頃うんざりしたり、疲れることが多かった京美は、

そこでソーリーとはぜったい言いたくありませんでした。

なので、

 

雨が降り出して、人が並んでいるのに、

そっちこそなんで入口でたちふさがってたのよ。

もっと周りのことも考えなさいよ。

 

と、言い返しました。

こころなしか、周囲のアジア人たちも、

そうだそうだとうなずいているように見えました。

 

金髪女子は、一瞬ぐっと言葉につまったようでしたが、

少々

トーンダウンして、

 

だったら、イクスキューズミーって言いなさいよ。

 

といってきました。

まあ、その通りです。

何も言わずに、押したりするのは、子供のすることですもんね。

 

そこで、京美は、

 

イクスキューズミー。

 

と言いました。

この言い方、まるで子どもですね。。。

 

でも、金髪女子はそこで黙って、

それ以上追求しようとはしてきませんでした。

 

 

電車の車両のなかいっぱいに、

わらわらとうごめく児童たちを見て、

京美はそのときのことを思い出しながら、

自分のなかにもうごめく子どもがまだまだいるんだな、と、

苦笑せずにはいられませんでした。

オークランド空港からの安全なアクセス方法について

  • 投稿 2018/02/21
  • NZ生活

ニュージーランドを初めて訪れたのは、

4年と少し前のことです。

 

そのとき、

郊外のありふれた、どこにでもある空港景色にも関わらず、

なんて空気が爽やか!

と感じたことを覚えています。

 

さて、

成田空港あるいは他国のエアポートから、

たいていの方は、

ニュージーランド北島にある、

オークランド国際空港に到着するのではないでしょうか。

そこから乗り換えて、

クイーンズタウンなどの南島に行く航路が多いと思います。

 

でも、

そのままオークランド市内へ出る場合、

シティへの移動をどうするか、

いくるかある方法のうち、

安全で便利な交通手段をお伝えしますね。

 

 

1.空港バス(Sky Bus)

 

国際空港から、シティCBDまでを結ぶ交通手段のなかで、

いちばん安いのが、バスの利用です。

料金は18ドル(2018.2現在)で、

時間は40分くらい、

道路状況によっては、60分以上かかることもあります。

 

午前の早い時間だと、30分くらいで着くことも。

 

シティ内の停留所は、

最終が「オークランドフェリーターミナル」で、

そこに着くまでに、メインストリートである、

クイーンストリート沿いのバスストップに何度かとまります。

 

宿泊所に一番近い停留所を調べておくといいですね。

降りるときは、ボタンを押して、

降車の合図が必要です。

 

反対に、乗車したいときは、

手をあげて合図をしないと、

ニュージーのバスは止まってくれないので、

注意が必要です。

 

 

2.シャトルバス

 

これは、いわゆる乗り合いバスのようなもの。

ドアツードアで、ホテルの前まで連れていってくれるので便利です。

ただ、

空港に近い場所からまわるので、

場所によってはかなり時間がかかることも。

そうはいっても、トランクを持ち歩かなくていいので楽ちんです。

 

1人35ドル(2018.2現在)。

何人か一緒のグループで、同じ場所で降りる場合、

つまり、宿泊ホテルが同じの場合は、

プラス8ドルになるので、

2人で乗れば、実質1人22ドルになる計算です。

 

トランクは1個は無料、2個目からはプラス5ドル。

車の後ろのコンテナに乗せて、けん引されます。

 

ちなみに、京美が初めてシャトルバスに乗った4年前は、

空港内のチケットセンターで買ったので、5ドル割高にとられた記憶が。。

なので、

できれば現金を用意しておいて、

直接乗り場へ向かい、ドライバーに料金を直接渡すのが経済的です!

 

とはいえ、

時間のしばりのある方は、日本からネットで予約することも可能です。

 

乗り場は、外に出て、タクシー乗り場を超えたところにあります。

シャトルバス運転手さんがいるので、

行き先を告げて、お金を直接払います。

人数が少ないと、少し待たされることもあります。

 

ある程度時間に余裕があって、

スーツケースを持って歩くのを避けたい人におすすめです。

 

 

3.Uber(ウーバー)

 

ニュージーではすっかりポピュラーになったUber(ウーバー)。

スマホで、Uberのアプリをあらかじめダウンロードしておけば、

空港内のWi-Fiを使って呼び出すことができます。

 

アプリ登録には、

クレジットカードの登録も同時にする必要があります。

清算は、そのクレジットカードからになります。

 

タクシーよりも割安で、時間帯と行き先にもよりますが、

シティ内だと40から55ドルくらいでしょうか。

アプリでは、行き先指定で呼び出すので、

英語であらためて伝える必要もありません。

 

運転手さんの名前も、直前に通知がくるので安心です。

 

京美も何度か利用したことがありますが、

タクシーより安くて、ドライバー名も把握できるので、

トランクが2個あるときなど、すごく便利でした。

 

オークランドのタクシードライバーはインド系の方が多いです。

日本車に乗っている可能性も非常に高いので、

ご自身が日本で乗っている車種のことなど、

いろいろ話してみるのも楽しいですよ。

 

 

4.タクシー

 

こちらは割高になるけれど、

乗車前におおよその値段交渉をすれば、

ふっかけられるリスクは減るはずです。

シティ内なら、70ドルくらいを目安に。

渋滞つまりトラフィックジャムがないかどうかも、

乗車前に聞いておくといいでしょう。

 

金曜の午後3時から7時くらいまでは、

渋滞することが多いです。

平日でも、午後4~6時は渋滞することが多いので、

その時間帯に乗る場合は注意が必要です。

 

 

空港内には、インフォメーションもあります。

もし、すいているようだったら、

英語の勉強をかねて、わかってることでも、たずねてみてもいいかも。

また、

京美がひそかに楽しみにしているのが、

2ドル2分で使える、マッサージチェアです。

2ドルコインが必要なので(1ドル2枚でもダメです)、

やはり現金をくずす必要がありますが、

長時間のフライトでかたまった筋肉をほぐせますよ。

 

ただ、ふつうに通路に置いてあるので、

通行人の人に見られてしまいますが、

ここはニュージー、

他人を気にする人はほとんどいません。

人の目なんて気にしないで、快楽を求めましょう!!

 

オークランドに行かれる方のご参考になれば嬉しいです。

オリンピックの日韓友情に涙するのは羨望かNZ生活の後悔それとも

懐かしい友だちの夢をみました。

 

ニュージーランドで仲良くなった、

コリアンのリディアです。

 

韓国人のほとんどは、イングリッシュ名をもっていて、

彼女もコリアン名とは別に、通称のそれを使っていました。

 

どこかの坂があって、彼女がそこから降りてくるのが見えます。

夢の中のことです。

 

夢のなかで、

リディアと話すことはありませんでした。

彼女が坂道をくだって歩いているところを、

遠くから見つめて、

話しかけもしないでいたのです。

 

 

リディアと知り合ったのは、

オークランドの国際調理師学校に入って2年目のときでした。

クラスの半分以上が中国人とインド人、

韓国人が2割ちょっと、あとはベトナムやフィリピン、

日本人は京美ひとり。

 

リディアは優秀な生徒でした。

学生対象のシェフのコンペティションに参加して、

金賞をとったこともあります。

 

日本人がイメージする韓国人の顔とは正反対の、

タヌキ顔のかわいい顔だちを持っていて、

フィリピン人によく間違われてきたと、

楽しげに話してくれました。

 

クッカリースクールは若い人の多い学校で、

数少ない同世代の仲間でもありました。

私たちは、すぐに仲良くなって、

学校のことだけでなく、

国のこと、家のこと、過去にあったあれこれを、

忌憚なく話し合うことができました。

 

リディアはダンナさんと一緒に、移住してきていました。

韓国では高学歴高収入のハードワーカーだったようですが、

ビザの関係で、主夫をしている彼との感情のもつれや、

中年になって異国に住むストレスを話す相手が欲しかったようで、

年齢といい、バツイチ経歴といい、

京美はその役にぴったりだったようです。

 

京美の方はというと、

今の彼と付き合い始めたところでもあり、

自分の感情や、ふだん話しにくいような女子バナも、

あれこれ聞いてもらっていました。

 

日本語だと、ついまわりくどくなる説明も、

英語だと率直に話す術しかなくて、

その率直さは、ユーモアを伴って、

リディアの心に響くこともありました。

 

また、

日々の出来事から露わになる価値観や、

親との確執、自身のコンプレックスなんかも、

話し合っていたように思います。

 

 

卒業間近のことです。

最後の実習で、

教官シェフのデモンストレーションを見ることになりました。

 

学校2年目は、座学が中心だったので、

実習の場所が、どの教室になるのか、

生徒たちに伝わりにくい状況でした。

教官シェフも、

事前にはっきり指示していなかったのです。

 

時間になっても、リディアの姿がみえません。

シェフの講義デモが始まったとき、京美の携帯が鳴りました。

リディアからです。

音声オフにはしていましたが、

シェフがすぐ目の前にいる状態で電話をとることもできず、

レセプションに聞けばすぐ分かることだと、

そのままにしてしまいました。

 

ほどなく姿を現したリディアに、

電話とれなくてごめんね、と伝えました。

リディアは、

シェフが悪いわよ、

昨日、レポート書けっていってたから、

いつもの教室でやるんだと思ったのに。

 

そう言って、

鬼のように怒った顔を京美に向けました。

 

 

シェフのいうレポートとは、

クラスにいる悪ガキ対策としてのジョークでした。

明日のテリーヌについて、レシピや起源、歴史、

もしくは街頭インタビューを行うかして、

レポート用紙1枚以上にまとめてきなさい、と。

 

すでに卒業課題はすべておわっていて、

それぞれの評価も判定が出ていた状態だったので、

まじめな日本人生徒だった京美でさえ、

ああ、冗談だな、と笑っていました。

そんな宿題、生徒は誰も信じなかったと思います。

さらにまじめなコリアン、リディアをのぞいては。

 

ニュージーランドに住み始めたころ、

自分のなかの韓国人への思いのなかに、

日本人らしい偏見がまじっていることを感じた京美でしたが、

1年2年と多くのコリアンたちと交流するうちに、

彼らの心のあたたかさや世話好きさ、やさしさに触れて、

そんな思いは吹っ飛んでしまっていまいた。

 

何度彼らに助けられたことでしょう。

 

だから、

いつでも、

自分は韓国人と仲良く、助け合っていきたい。

 

そんなふうにあつく思ったことも、

一度や二度ではありませんでした。

 

それなのに、

リディアの怒りの表情は、

そんな思いを蹴散らかして、

韓国人は、怒るとこわい、という偏見まじりの考えが、
京美の頭にもどってきました。

 

こわい。

 

そう思ったのです。

リディアの怒りの矛先は、

もちろん京美ではありません。

彼女もわかっているし、京美も分かっています。

なのに、です。

 

一方、その直後、

リディアは、シェフに満面の笑みを見せました。

 

講義のあとで、

リディアは卒業後の就職先について、

そのシェフに相談することにもなっていました。

 

そんな事情もあって、

いま、シェフに抗議するときではなかったのだと、

頭では理解できます。

 

それでも、

そう考えている自分とは別に、

もうリディアからは離れていたい、

と思ってしまったのです。

 

その思いを持ったままで、その後、

リディアと会うことはありませんでした。

 

お互い就職していそがしくなり、

近況報告をメールでテキストしあったりはしながらも、

実際に会うことはなかったのです。

移民法の改定があり、

たくさんの移住希望者が帰国するようになると、

リディアも韓国へ戻っていきました。

京美が帰国する少し前でしたが、

そのことについても、お互い連絡することはありませんでした。

 

ひどく残念な話です。

リディアの夢をみた朝、京美が気づいたのは、

あの怒りの表情は、実は京美じしんのものだったということです。

 

京美は、リディアの話を聞くのに疲れるようになっていました。

英語が堪能なリディアへのコンプレックスもあり、

話すことが億劫になって、

聞き役に徹することもありました。

でも、

本当はもっと話したかったのです。

そう思ったときに、京美は彼女に伝えるべきでした。

 

私は怒っていると。

あなたの話は半分にして、

もっと話を聞いてほしい、

そういえば、彼女は受け入れてくれたでしょうか。

 

わかりません。

いつかまた、と思う日もありましたが、

帰国して5か月が経ち、

今朝まで彼女のことは忘れていました。

 

平昌オリンピック、スピードスケートの小平奈緒選手と、

韓国のイ・サンファ選手二人の友情物語。

TVニュースやネット記事でみたのは、

リディアの夢を見た、その夜のことでした。