奈良コトミのブログ

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海外経験後、奈良に移住して目覚めた、歴史と日常についてのあれこれ。

映画「ソロモンの偽証」のような夢から考えた

今朝は夢をみましたか?
どんな夢だったか覚えていますか?

 

 

京美はほぼ毎日、夢をみます。
ただ、
めざめる瞬間までハッキリ覚えていても、
起きて着替えて、トイレに行って、お湯を沸かして・・・と、
朝の支度をしているうちに、たいていのものは忘却の彼方へ。
食事のあとに、やれやれとお茶を飲みながら、
さてどんな夢だったっけと思い出そうとしても、
たいていの場合、その内容が脳によみがえることはないのです。

 

こわい夢だったとか、特別しあわせな夢だった場合は、
その感覚だけを覚えていることがあります。

 

そして、ごくたまに、いつまでも忘れられない夢というのもあります。

 

 

少し前にみた夢の舞台。

それは、中学3年生の学級会でした。
クラス裁判のようなものが行われているのです。

 

そのなかで、見覚えのあるクラスメイトの女子が、はっきりとした口調で、
自分の正当性を訴えていました。

 

彼女は、女子からも男子からも嫌われる傾向にあったコ。
嫌われた理由は、感情の起伏がはげしくて、
それを表そうとする言葉のせいでもありました。
口がたつのに、話す内容に嘘が多く一貫性がなかったから。

 

でも、
もっというと、何か起こると他人のせいにして、

自分はわるくないと主張するうえに、
心のどこかに自分はぜったいに許されるという甘えがあって、
それが言動にでているところがありました。
自分は頭がよくないから、助けられて当然だし、

許されて当然だという子どもっぽい理屈が、
早く大人になりたがっていた当時の大多数のクラスメイトにとって、
不快でしかなかったような気がします。

 

夢のなかで、誰かが言っていました。
「彼女の言うことは嘘かもしれない」
「え、嘘?あんなに堂々と話しているのに?」

 

そこで目が覚めました。
布団のなかで、なんでこんな夢みたんだろう、、と思い返しながら。

 

同時に、
彼女の性格を分析している自分って、なんて傲慢なんだろう。
今、述べた彼女の気質は、
結局のところ、自分自身が持っているものだと気が付いて、汗が出ます。

 

のろのろと起き上がって、
布団をたたみながら、なんだったんだこれ、
クラス裁判って、なんかテレビか映画とかにあったよなと、
なおも頭の端っこで考え続けていました。
映画「ソロモンの偽証」後編が、
その日の夜のテレビで放送予定だったことを知るのはこの後なのですが、
それより前に、思い出したことがありました。

 

 

裁判。
罪をあきらかにして、罰を宣告する場所。
真相を追求する気持ちが高じると、
人は、人を罰するのを好む傾向にあるのでしょうか。

 

 

思い出したのは、更にさかのぼって、
京美が小学校4年生くらいのときのことです。

 

クラスメイトのエムちゃんが、
好きな男の子にラブレターを書きたい、と言い出しました。

 

正直、エムちゃんとは、とくべつ仲がよかったわけではありません。
京美には、仲良しの友達が他にいました。
なのに、
そのときはなぜだか、エムちゃんと、

その周囲のコたちとひそひそ話していたのです。

 

そのときたまたま席が近かったとか、

何か授業のグループがたまたま一緒だったとか、
そんなところだったのでしょう。

エムちゃんラブレター書きたいんだって、と、誰かが京美に言いました。
でも、どうやって書いたらいいかわからないんだって。
京美ちゃん、作文じょうずだから、手伝ってあげてよ。

 

そんな展開だったような気もします。

 

あるいは、エムちゃん自身が、
なんて書いていいか分からないから、手伝って、
と言ってきてたのかもしれません。

 

すでに、手紙は何行か書かれていました。
この先がわからないのよね。
だれかがそう言ってもいました。

 

京美は、作文がとびぬけて上手だったわけではありませんが、
クラスのおたのしみ会で、桃太郎をもじった寸劇を作ったりしていたので、
それでグループを超えて、声をかけられたのかもしれません。

 

いや、
やっぱりたまたまその場に居合わせた、

ただそれだけのことだったのでしょう。

 

ですが、
特に断る理由もなく、
強いていえば、エムちゃんの好きな男の子は、
京美も少しいいな、と思っていたこともあって、
実のところ、とまどった気持ちもありました。

 

でも、とにかく人気の高い男の子だったし、
小学4年生のいち女子として、彼の反応をみてみたい、という好奇心もありました。

 

ラブレターを受け取った彼は、どんなリアクションをとるのだろう。

 

想像すると、それを実際に見てみたい誘惑にかられました。
その誘惑は、京美の書く言葉を、よりオーバーに、
劇的に、情熱的にならしめました。
恋の表現とは何か、よくわからないまま、
テレビのコマーシャルか何かをテホンに、思ってもいない虚の言葉が、
すらすらと浮かんできました。

 

エムちゃんは、それをたいそう気に入ってくれました。

 

みんなで一行ずつ書こうよ、と誰かが言いました。
京美の書いた、はげしい慕情の一節も、

ちょっと浮きながら並べられました。

 

そして、
出来上がったラブレターは彼の君の元に無事に届けられたのです。
エムちゃんは、きっと、返事を心待ちにしていたと思うのです。

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奈良検定、垂仁天皇の二人の家臣がもたらしたものは?

午後、ポストに通知が到着。

 

奈良通2級、無事にうかりました!

ありがとうございます!!

 

 

さて、

奈良通検定2級に出てくる過去問で、

垂仁天皇陵のお濠に浮かぶ、小島のことが出されています。

 

小島の名前を、田道間守と書いて、

たじまもり、と読みます。

垂仁天皇の家臣であり、

命をうけて、常世の国(中国かインド)へ、

非時香菓(ときじくのかくのみ)なるものを、

探しにでかけた、という伝説があるそうです。

 

この島の名前が、出題なのですが、

そんな、かぐや姫の問うた無理難題のようなお話、

信じがたい夢物語のような気がします。

 

奈良通検定問題では、名前にとどまっていますが、

調べてみると、

田道間守は、無事に持ち帰って、帝に献上したところ、

すでに崩御されていたということで、

嘆き悲しんで自害してしまったと伝わっているようです。

 

そのかぐや姫の難問の答えは何だったかというと、

どうやら、橘のことらしいのです。

 

垂仁天皇陵のすぐそばに、小さな畑が広がっていて、

そこには、この非時香菓、つまり橘の木を保存しようと、

苗木が植わっていて、募金箱が置かれていたりするのを見ました。

 

忠臣というのも、橘というのも、

京美の日常からは、もうひとつピンとこないのですが、

橘は、ミカンに似た果実がなるそうで、

そういえば、着物の柄に、橘がありました。

おめでたい意味があったように記憶しています。

家紋にもありますよね。

 

そもそも、

なぜ帝が、この橘を求めたのかといえば、

不老不死の霊薬と信じられたからだそうです。

 

ただの樹がほしかったわけではなく、

永遠の命というのか、

そういうことだったのですね。

 

 

もうお一方、垂仁天皇の家臣で、

野見宿禰(のみのすくね)という人がいます。

これまた帝の命で、出雲より相撲の名手として呼び寄せられ、

相撲を行って勝利し、家臣になったとか。

そののち、

帝のお妃がなくなったときに、

それまで殉死の風習があったのを、

埴輪にかえる提案をしたとかで、

土師臣(はじのおみ)という姓を賜ったということです。

 

この土師氏は、その後、菅原の姓をもらいうけます。

この菅原とは、土地の名前だったようですが、

かの菅原道真公が生まれた、

という伝承がある場所でもあるんです。

 

これ、

奈良通検定には出てこないので、調べてみると、

このお話の起源は、日本書紀だそうで、

考古学的には認められていないとのことです。

 

だから、検定問題にはとりあげられなかったんでしょうね。

この埴輪の話を聞いたときは、

 

すごい!

 

と感動しましたが、

 

よくよく考えてみると、

出雲のことといい、後付けの神話のような気もしてきます。

 

それでも、

力を持った氏がいたことは事実でしょうし、

垂仁天皇の家臣として、偉業をたたえたい、

子孫のプライドと尊敬の心が生み出した物語なのかもしれません。

グレーテルは自分だと震撼した日、その1

NHKのBSドラマ「我が家の問題」の第三回、

「初めての里帰りに悩む妻」をみました。

 

途中からだったのですが、

CMを見たときから気になっていたので、

見ることができてよかったです。

 

最初の結婚のとき、

この里帰りというか、彼の実家に行くというのが、

苦痛でたまりませんでした。

 

というのも、

結婚式をあげて五日経った、最初の金曜日の晩、

勤めから帰宅した前夫が開口一番いったのです。

 

さあ、おふくろのところに行くぞ。

 

夕食も用意されているようでした。

ちなみに、

そのときの新居は、彼の実家のすぐ近く。

歩くと15分くらい、

坂の上までバイクに二人乗りして、上っていった記憶があります。

 

義父は、前夫が学生の頃になくなっていて、

義兄はそれ以前から家をでており、

義母と前夫は長く二人で暮らしていました。

 

そして、こちらはそれと似たような、反対の状況で、

学生時代に実母がなくなり、

妹はまもなく家を出て、

京美は結婚するまで、実父と二人で暮らしていたのです。

これまた、壮絶な日々でもあったのですが、

それはまた別の話です。

 

そんな似た者どうしで、

親をなくした悲しみとか、不自由と自由さとか、

一人親への思いとか、

経験者どうしだからこそ分かりあえるのではと、

結婚当初は信じていました。

 

年齢は、実父より義母の方が10ほど上ということもあり、

彼の実家近くに住むことは、納得していました。

そこは京美にとって憧れの地域でもあり、

望んだ環境に、自ら選んで住むんだという思いもありました。

でも、

これは自分を言いくるめていたのだと思います。

 

金曜日の晩に、彼の実家へいき、

お呼ばれすると、

そのまま泊まっていったら、ということになりました。

断ることができないまま、

土曜の夜も泊まっていくことになりました。

 

つらい週末同居のお務めが始まったのです。

 

なぜ京美は、断れなかったのでしょうか。

嫌なものを嫌と、ノーということができなかったのでしょうか。

本当にナゾです。

結婚とはこういうもんだと、

自分を言いくるめていたのでしょうが、

なんのために?だれのために?

自分の意志とは反する方向へ流されるまま、

何の手も打とうとはしなかったのです。

 

本当に不思議です。

自分の性格は、はっきりと主張するものだと思っていたのに。

前夫にさえ、その思いを話す機会を持ちませんでした。

 

理由の一つに、

そのとき、京美は仕事をやめて、

ある資格試験を受けようとしていました。

勉強させてもらうのに、

これくらいのことは耐えなければ。

そんな見当違いの忍耐を、自分に強いていたように思います。

 

結局、この資格試験は、結婚2年後に断念するのですが、

そもそも、

難しい試験を受けるのに、なぜ結婚してしまったのか。

 

家庭と勉強は、両立できると思っていたのです。

ただ、

仕事と家庭と勉強の3本柱はムリだと、さすがに思っていました。

だから、

仕事は結婚と同時にやめたのです。

 

でも、これ、おかしいですね。

週末同居は、勉強のためにも家庭のためにも、

プラスになりませんでした。

 

母のいないさみしさもあって、

京美は、義母との食事時の会話を、

はじめはとても楽しんでいました。

ですが、

2時間、3時間、そして1泊、2泊となると、

しんどくてたまらず、

それをしんどいと夫に話せない自分がもっとしんどくて、

週明けはへとへとになっていました。

 

なぜ、勉強させてもらってる、

なんて卑屈に考えていたのでしょうか。

どうして思うように振る舞えなかったのでしょう。

 

この週末同居は、2年続きました。

前夫が仕事を急に辞めたので、

京美がかわりに外に働きに出るようになったからです。

 

ドラマのなかで、

水川あさみさん演じる主人公の新妻に、

益岡徹さん演じる義父が、

以前同居を迫ったことは忘れてくれ、というシーンがありました。

東京で、仕事をうまくやれているわけではないけれど、

思うようになるよう、もう少しがんばりたい、

と話す主人公に、

 

それが普通だ。思うようにやったらいい。

 

と語る義父のセリフに、うるうるきました。

 

そう言ってもらいたかった、

いえ、自分自身にそう言ってやればよかったと、

今になって思うのです。

 

その後、10年も経ってから、

やっと言えるようになりました。

つまり、離婚を決意したということですが、

そうなるには、まだいくつかの試練が待っていました。

自分をグレーテルだと思うことが必要だったのです。