鑑真ゆかりの唐招提寺で聞いた、生きるのに大切な3つのこと

今年のお正月のことです。

 

私がまだ奈良に住み始めてひと月も経たない頃でしたが、唐招提寺へ初詣に訪れました。

自宅から近いので、一度は行ってみようと、興味本位な気持ちもありました。

 

ちょうど他の参拝客もたくさん訪れていて、ご本尊の廬舎那仏のそばには、お寺さんも案内を兼ねて立ってられました。

 

そのお寺さんは、参拝客の誰それに話しかけては、仏像のことや仏教のこと、ときには人生についてお話されていたのです。

 

私も話しかけてもらったので、そのときに聞いて思ったことをお伝えしたいと思います。

 

ちょうど、廬舎那仏と離れて隅に立つ、四天王の像を見ていたときでした。

 

唐の仏師と、大和の仏師、それぞれが作っただろうとされる像を見比べて、その違いはどこなんだろうと考えていたのです。

 

中国人の作った像は表情が厳しくて迫力があり、日本人の作ったものはそれよりは少し柔らかい印象があるような気がして、でも、もしかしたらこれは偏見なのかもしれないし、本当のところはどうなんだろう、と考えていました。

 

奈良に来るまで、ニュージーランドに3年住んで、たくさんの中国人はじめアジア人と知り合い、接する機会がありましたが、中国人はアジア人のなかでも、大陸的というか、繊細というよりは豪快で、極端な言い方をすれば、どこででも生き延びていけそうな逞しさと強さを持っていると感じることが多くありました。

 

対して、日本人はこまやかな神経を使うことができ、良きにつれ悪しきにつれ、気遣いや調和を重んじて、そのなかに美をみつけるというような文化を持っているとあらためて感じる機会も多かったです。

 

そんなことを思い出しながら、いま目の前にある奈良時代の四天王像を見比べていると、迷える子羊を救うがごとく、お寺の方が声をかけてくれました。

 

「何か、見えてくるものがありますか」

「はい、いろいろ勉強しなきゃと思ったりします」

「勉強はね、一生やっていくモンですよ。勉強しなくなると、人間の成長はとまる。勉強することで、悩みも解決されていくものです」

 

そして、仏の階層なるものについて教えてくれました。

 

仏像の階層は、一番上が「如来」で、次が「菩薩」、そして「明王」、「天」と続くそうです。

 

仏像の種類って、いくつもあって、呼び名もいろいろで、全部並列だと思っていました。

でも、そんな順番のようなものがあったのですね。

 

さらに、お坊さんは、人は本来、自然のままにいけば、100歳かそれ以上、長生きできるものなのだけれど、不摂生や不養生で、80そこらまでしか生きられなかったりする、すべては本人の責任、といったことを話されました。

 

「・・・そんなに長生きできるもんなんですね」

「そう。本当はね。そうして生きていくのに、大事なことが3つあるんですよ」

「それって何ですか?」

「まず、素直であること。次に明るいこと。そして、3つめが女性は特に大事かもしれませんが、愛嬌があることです」

 

そうすれば、道が開けてくる、と聞いて、単純だけど、決して簡単なこととは言えないな、と感じた自分に年齢を感じました。

 

もし、二十代だったら、最後の一つには反発を感じていたかもしれませんが・・・それも今は気にならなくなってきました。男性にも必要な要素のようです。

 

「そうやって生きていくとね、あなたもこの先、ひと花、ふた花、咲かせられますよ。いや、3つくらいの花を咲かせてほしいなあ」

 

できればね、と言ってもらって、びっくりしました。

 

ひと花咲かせるのも大変なことなのに、3つとは。50歳にもなっているのに。

 

ですが、本当に100歳以上も生きていけるのが人間の本来の寿命だというなら、50歳はまだ折り返し地点です。

3つは多いけど、2つくらいなら・・・なんて気にならなくもなく。

 

家に戻ってから、唐招提寺を開いた、鑑真さんについても少し調べてみました。

 

12年の月日と、5回の失敗を越えて、健康を害してまでして、日本にたどりついた鑑真大和上。

その情熱とファイトは想像できない強さと大きさです。さすが中国人です。

 

東大寺に5年いたあと、私寺として建てたのがこのお寺でした。

 

ちょうど、鑑真さんがやってきた753年は、大伴家持が越中から平城京へ戻ってきていた頃のことで、その後の政治情勢は、鑑真和上の身にも影響が大きかったのではと想像します。

https://beauty-kireininaru4.com/alone-trouble/

https://beauty-kireininaru4.com/ohtomonoyakamochi-yanagi/

 

その家持の歌にも、こんなものがありました。

 

「水泡(みつぼ)なす 仮(か)れる身そとは 知れれども なほし願ひつ 千年(ちとせ)の命を

 

水泡のように消えて、枯れゆく身だと知ってはいるけれど、それでもやはり願ってしまう、千年の寿命を・・・と、これは長寿を願って作った歌です。

 

万葉集では、百年どころではなく、千年を祈願しているのですね。それもまたダイナミックです。

 

政治の仕事での苦悩で、ときに厭世的になりながらも、とにかく進むしかないという、家持の心情が感じられます。

実際、家持は、万葉集の編集後も、最後まで政治家として前を向いていた人でした。

 

さらに、こうやって鑑真和尚と家持が生きた時代に思いをはせることで、二つの国に通じるひとつの長所を見つけた気がします。

 

そう、人間は、本来、ダイナミックなのです。大きくて、おおらかで、苦難があるほど、先へ先へと進んでいける、知恵と力がある生き物なんだといえなくはないでしょうか。

 

だからこそ、明るく、素直に、愛嬌をもって進んでいけば、たくさんのことが自然と可能になるのでしょう。

 

その感覚と糸口が奈良の地には今も漂っているのかもしれず、唐招提寺はまさにその代表格として、雄々しい姿を見せてくれているのかもしれません。