怨霊伝説から、全国的な神さまとなったのが菅原道真公、天神さんです。
日本全国、特に西日本に無数にある天満宮の総本山としては、京都の「北野天満」、九州の「大宰府天満宮」が有名ですよね。
ですが、ここ奈良に、菅原道真が生まれた地という伝承の天満宮があるんです。
平安時代の人なのに、なぜ奈良?と思った方。私もそうでした!
今回は、この奈良の菅原神社について、お伝えしたいと思います。
近鉄・西大寺駅から、南へ10分ほど歩くと、菅原天満宮(神社)があります。
橿原線の尼ヶ辻駅からだと、北西へ約10分です。
この神社、小さいながら、いつ行ってもお参りの人が必ずいるんですよ。
とても人気の高い神社で、私も道を聞かれたことが、何度かあるくらいです。
この菅原神社の近くには、試みの大仏殿として有名な「喜光寺」もあるのに、断然、菅原神社の方が人気が高いんですね。
というのも、この天満宮は、菅原道真(すがわらみちざね)公の生誕地といわれているんです。
学問の神さまとして有名な天神さんの生まれ故郷へ、合格祈願や学業成就などを祈願しに、遠方から訪れる人が多いのでしょう。
そして、天神さんといえば、「梅」が有名ですね。
今は、ちょうど梅の実がなっているところです。
無実の罪で左遷され、大宰府に流された道真公を追って、道真公が愛でいた「梅の木」が、一晩で京から大宰府へ飛んできたという「飛梅伝説」が有名です。
そして、「牛」もまた、天神さんと切っても切れない関係です。
道真公が生まれたのが丑年で、亡くなったのは丑の日、さらに牛が守ってくれたなどのエピソードがあるようです。
愛らしい表情の牛ちゃんがいました。
撫でたくなりますね。
さて、菅原道真の出た菅原氏は、その祖先が「野見宿禰(のみのすくね)」という人で、そのまた祖先は「天穂日命(あめほひのみこと)」だそうです。
野見氏は、後に土師(はじ)氏の姓に変わり、土師氏が土地の名前であった「菅原」姓を名乗るようになった、という歴史があります。
つまり、「天穂日命」→→→「野見宿禰(野見氏)」→「土師氏」→「菅原氏」という順番ですね。
「野見宿禰」は、垂仁天皇の命で当麻蹴速(たいまのけはや)と相撲をとり、これを負かしたという伝説があり、このことが相撲の始まりともいわれています。
先日お伝えした「當麻(たいま)寺」の近くに、この「当麻蹴速」ゆかりの「葛城市相撲館」があります。
當麻寺についてはこちらです。
https://beauty-kireininaru4.com/taimadera-temple-snowwhite-chujyohime/
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また、「土師氏」は、垂仁天皇の時代に、古墳造営から葬送儀礼全般に関わったとされる氏族です。
奈良時代に建てられた、「海龍王寺」の前身は、この土師氏のお寺だったようです。
https://beauty-kireininaru4.com/nara-kairyuouji-temple-kwannon/
話を戻しましょう。
実は、菅原道真公の生誕地は、京都市や堺市など色々なところにあって、本当はどこなのか、真実は分かっていないのです。
ただ、この奈良の地には、古くから「菅原」という地名があり、それを氏姓にした「菅原氏」がいたことは事実です。
前述の「喜光寺」は、奈良時代に聖武天皇がこの名前に変えるまで、その地名から「菅原寺」と呼ばれていたくらいです。
万葉集にも、菅原の地を詠ったものがありましたね。こちらです。
https://beauty-kireininaru4.com/sugawaraji-temple-manyousyu/
菅原道真の曽祖父(奈良時代~平安初期)が、この菅原に住んでいて、土師から菅原姓に代えてもらったようです。
だから、道真公にとっても、縁ある土地であることに間違いはなく、もしかしたら、本当にこの地で生まれた可能性も、ゼロではないのかもしれません。
神社の近くには、道真公の産湯池と伝わる遺跡が残っています。
鴨が泳いでいることもある、小さな池です。
産湯というのはなかなか確証が難しいですが、さらに東へ5分くらい歩いたところには、「菅原東遺跡埴輪窯跡群」があり、古墳時代に埴輪を焼いた窯が見つかっています。土師氏時代のことですね。
そんなわけで、平安時代に活躍した菅原道真公の生誕地が奈良にある理由、お分かりいただけたでしょうか。
文筆の神さまでもある奈良の菅原天満宮、一度お参りして損はないはず。
ぜひ、ご利益をいただきに訪れてみませんか?
今から七月かけて、蓮の花が見られる「喜光寺」もセットで廻られるのをおすすめします!