大海原の水底のように深く、昔の恋を思い出す、美しい恋の万葉集歌と現代の想い

万葉集の中には、海を題材にした歌がいくつもあります。

 

盆地である奈良の地に、海はないのに、ちょっと不思議な気もします。

 

遣唐使や、白村江の戦いのように、海を越えて外へ出ていった時代でもあったからなのでしょうが、一般の人々にとって、海とはどんなイメージだったのでしょうか。

 

そんな海を用いた歌で、編者である大伴家持たちが誉めたに違いない、ある女性の作った1首をご紹介しましょう。

 

春の近いある日のこと、大伴家持は、宴にて友人たちと歌を詠み交わしました。

 

お題は、うぐいす。もうすぐ春だから、うぐいすも鳴くだろうね、などと歌を作っていきます。

 

家持についてはこちらです。

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そんな春を待つ歌を3首、万葉集の巻第二十で載せたあと、編者は突然、ある女性のこんな歌を入れたのです。

 

大(おほ)き海の 水底(みなそこ)深く 思ひつつ 裳引(もび)き平(なら)しし 菅原の里

 

大海原の水底のように心より深く恋慕って、部屋のなかを気もそぞろにあなたの訪れを今か今かと待ちわびて裳裾(もすそ)を引きずって歩いていた、あの菅原の里よ・・・

 

こんな訳になるでしょうか。

 

当時、宮中の若い女性は、赤い裳裾を引きずるように歩いていたといいます。

その昔、自分も夫に愛されていると信じて待っていた頃もあったのに・・・

今はその夫と離縁した女が、当時をしのんで詠んだ歌とされています。

 

歌の最後にある「菅原の里」の「菅原」というのは、平城京の西にあたる、昔ながらの地域の名前です。

この菅原は、かの菅原道真の出身地ともいわれているところで、現代まで残っている地名です。

 

また、かつて菅原寺と呼ばれた、喜光寺があり、阿弥陀如来像が祀られています。

 

さて、この歌の作者は、石川女郎(いしかわのいらつめ)といいます。

当時は通い婚だったので、彼女はこの菅原に住んでいたのでしょう。

喜光寺にお参りすることもあったことと想像します。

 

さらに、東に御笠山、西に生駒山、北に西大寺、南東に薬師寺をのぞむ土地、というロケーション。

なかなかな一等地だったと思います。

 

石川郎女という名前の作者は、万葉集のなかに何人もいて、この歌のいらつめさんは、藤原宿奈麻呂の妻だった人だということです。

 

つまり、藤原一族の男の元妻だった女性の歌なんですね。

 

海の青と、裳裾の赤が、視覚的にもその対照があざやかで、燃えるような恋心と、その後の冷えた関係の悲しさを象徴しているようにも感じられます。

 

まるで、中森明菜ちゃんの歌った「難破船」のようなイメージです。

作詞は加藤登紀子さんですね。

 

難破船の歌のように、水底の意味を、嘆き悲しむ心と捉えることもできそうです。

 

つまり、過去に海のように深く愛し愛された記憶と、今はその失った恋を嘆き悲しむ心とが、二重奏のように、波間にただよっているような感じも受けて、冷たい水のゆらぎがかえって、美しさを放っているような気がしてきます。

 

件の宴で、うぐいすの歌を詠った家持たちが、こんな歌もあるんですよ、と、この郎女の歌を絶賛しつつ披露していたのだとしたら。

もしかしたら、この歌にもまた、政治的な意味があるのではないでしょうか。

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それとも、ただ単に、この歌の情景と心情の表現のすばらしさに感じ入っていただけなのでしょうか。

 

藤原氏の勢いが、いつまでも続くものではない、と言いたげな、裏の意味があるような気がしないでもないです。

 

この宴があったのは、755年。

「藤原広嗣の乱」が起こった740年と、その後に、家持が快く思っていなかった藤原仲麻呂が失脚していく「藤原仲麻呂の乱」の764年までの間の頃でもあります。

 

今はまだ海の底にいるかのように、じっとして、ときを待つ。だが、ときがくれば、この熱い思いで世の中を平和にならしてみせよう、と読み解くこともできるのでは、と私は思ったりします。

 

「平しし」の「し」を、過去形ではなく、強調としてあえてとらえるのです。

 

そうすると、千年以上のときを経て、現代の私たちにも、編者の想いは届きます。

 

例えば、会社でなかなか昇進できずクサクサしたり、他人と自分を比べて落ち込んだり、自分の功績を上司や同僚に持っていかれてヤケ酒するしかなかったりするとき。

 

あるいは、今は実現できていないけれど、いつかきっとこうなりたい、という夢を心の底に持っているとき。

 

そして、誰かを幸せにしたいと願いながら、歯を食いしばって何かに耐えたりしのんだり闘志を燃やしていたりするとき。

 

「菅原」の地名を、あなたの地元や勤め先の名に替えれば、この万葉集の小さな歌が、励みになったりするのではないでしょうか。

 

事実、大伴家持は、晩年、政治家としてかなりいいところまで到達しています。

 

そして、この宴の100年ほど後になって、菅原道真公もやっと生まれます。

かの天神さん由来の地名だと思うと、道真公の運命やその後の怨霊信仰など、ますます妄想は膨らんできます。

 

・・・そう考えながらも、また、こうも思うのです。

 

奈良で海を詠うという、スケールの大きさと、比喩の美しさにただひたっていたい。

ここは、美しい恋の歌にとどめておきたい。

 

愛しいものはいつも役立たず、と言ったのは誰だったでしょうか・・・

美しいだけの恋歌としてそっとしておきたいと思うのは、実は欲張りなことなのかもしれません。