- 投稿 2018/03/03
- アートフルな午後
横浜にきています。
友人の結婚式に出席するため、
新幹線に乗ってきました。
京都から新横浜まで約2時間、
お天気もよくて、
車窓の風景も美しく、
それをカメラで撮っている乗客もちらほら。
午後のすきま時間のせいか、
乗っている人は決して多くなかったのですが、
富士山が現れたときには、
シャッター音があちこちで、
派手に鳴り響きました。
もちろん京美も撮りました!
まだ、山頂は雪に覆われています。
周囲にも山はたくさんあるのですが、
雪をかぶっているのは、富士山だけ。
ほかの山と何が違うんだろう、
と考えて、
それは高さだと気づきます。
雪が解けないほどの冷気が保たれている高さ。
そして、
形もまた、ほかと違って圧倒的に美しいのです。
まるでアイドルです。
新幹線のなかで、ちょうど
小泉今日子さんの「小泉放談」(宝島社出版)を読んでいたので、
そんなふうに思いました。
この本は、
キョンキョンが50歳を迎えるのを機に、
50歳以上の女性たちと行った対談集。
対談相手の方々も有名人なので、
写真がなくても、どんなふうに喋っていたのか、
想像できるのが楽しいです。
同世代のキョンキョンは、京美にとってまさにアイドル。
女優や文筆家として活躍されている今でも、
アイドルだった頃の輝きは忘れることができません。
そして、
年齢を重ねるごとに、新しいチャレンジをして、
新しいキョンキョン像を、新しい女性像の一つとして
私たち一般人に提示してもらっているんですよね。
いつも勇気をもらえている気がします。
その一方で、
ただの一般人である自分は、
何をしていけばいいのだろう、と、ふっと思います。
ふつうに家庭をもって子育てしたり、
仕事をしたり、ということになるとは思うんですけど、
一般人の50代は、これからどうすればいいのか、
その先は?
特殊な環境でも、特別な才能をもっているわけでも、
奇抜な経験をしてきたわけでもなくて、
この先の人生を、大人として、次世代への橋渡しとして、
では何を橋渡しとかできるんだろう?
もし何も出来ないなら、
何もしなくてもいいのかもしれないけれど、
本当に、なんにもしなくていいのか??
そう考えてしまいました。
荷物をもって、新幹線を降り、
ブルーラインに乗り換えます。
ところで、横浜の地下鉄って、
ブルーラインとグリーンラインがあるんですね。
ブルーラインが地下鉄のことだとは分からなくて、
乗り換えにぐるぐるしてしまいました。。
さて、
無事にブルーラインという地下鉄に乗り込み、
暗い車窓と向き合いました。
でも、自分の顔は見たくなくて、
姿が映らない角度に立って、
見るとはなしに、広告やほかの乗客をみていました。
以前にも感じましたが、
東京の電車のなかって、しゃべっている人が少ないんですよね。
静かなんです。
一昨日だったか、
奈良の電車のなかで、女子大生らしき女の子がふたり、
一生懸命しゃべっているのが聞こえてきたのを思い出します。
就活か何かのアンケートのことを話していました。
あなたは生産的ですか、消費的ですか、ってきかれて、
めちゃめちゃ消費的なんだけど、
だからといって、生産的になろうなんてムリムリ、
なれっこないし、かんべんしてって感じ。
笑いながら、そんなことを言ってました。
生産的になりたくても、
消費にしか傾けられない自分。
それが一般人だということなら、
まさしく自分も消費的な生活しか送ってない。
そのときはそう感じました。
ですが、
横浜ブルーラインで乗客の昇降を見ているうちに、
気がついたのです。
自分では、そうだと気づいていなくても、
すごく小さなことだとしても、
ずっと続けてきたことや、体得してきたことが、
誰にでもひとつふたつは必ずあって、
それは他人から尚更みえやすいものであるかもしれなくて、
それを、やることができることなのかも。
例えば、
裁縫とか料理とか、書とか生け花なんかでもいいし、
そうではなくて、
もっと小さな、近所の人との付き合い方とか、
初めて会った人との挨拶のしかたとかでもいいし、
つまりコミュニケーション的なことでもいいし、
もっともっと個人的な、
大事に集めてきた宝物とか、好きでたまらない何かについてだとか、
そういうこと。
そんな自分のやってきたこと、やれてきたことに焦点をあててみたら、
なぜだか大丈夫だって気がしてきました。
卑下しそうになったら、視点をかえてみる。
他人をアイドルとあがめるだけでなくて、
自分のやってきたことのなかに、
富士山やほかの山々や、川や煙突をみつけてみる。
そうしたら、笑みがこぼれてきて、
明るい希望を感じられる自分を、
暗闇の向こうにともしびのように感じることができました。
レッツ、トライ!
あなたの心のなかにある、富士山は何ですか?