奈良西大寺の続きです。

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入口に一番近いところにあるのが、四王堂というお堂です。

ここに入ると、中央に祀られているのが、

十一面観音、平安時代末期の像です。

 

見上げた姿の大きさに、

びっくりしたぁ、と声がでました。

 

長谷観音(はせかんのん)です。

 

すっくと立ちあがった巨大神。

見下ろすまなざしを、まじまじと見返しました。

 

青いベールのような薄い膜が両脇にかかっていて、

荘厳な雰囲気を醸し出しています。

 

そこから、

見ているのか見ていないのかわからないような

薄目をあけて、

 

いまは何も言わんとくけどな。

おのれでよく考えとくんやで。

 

・・・そんなふうに言われたような気になりました。

 

心をあらわれるとか、

うたれるとか、感動するとかというよりも、

ただただ圧倒されたのは、

その大きさのせいだったのかもしれません。

 

全長5メートル弱の、484.4センチ、

本家である長谷寺(はせでら)の長谷観音が、

10メートルほどのようなので、

その半分の大きさということになりますが、

それでも、十二分に大きな観音さまです。

 

ですが、

大きさ以上に、その雰囲気と表情といでたちの感じが、

なんとも独特でした。

夢のなかで、現実ならありえないような何かに出合ったとき、

「そうはいってもこれは夢だから」と、

頭の片隅で思っているような感覚ってありますよね。

 

その逆というのでしょうか、

これは現実なんだけど、

実は非現実のどこかとつながっているのかもしれないな、

と思えるような感覚。

 

ちょっとゾクゾクします。

 

自分よりはるかに大きなものをみたとき、

恐怖や畏敬の念を覚えるものですが、

 

なんでしょう、これは。

 

たとえば、

「ああ、ありがたや、ありがたや・・」

あるいは、

「よくもまあこんなでかいもんを作ったわね」

なんて思ったとしても、

それは、理性であって、一瞬あとから思うことです。

 

まさにその一瞬の最中というのは、

ただただ驚きと衝撃と、圧倒される感覚で、

自分が空白になる瞬間。

理性も思考も飛ばされるような感じ。

 

そして意表を突かれたあとに感じるのは、

もう以前の自分には戻れない、

新しい自分との遭遇、新たな時代への突入なのかもしれません。

 

面白いです、西大寺。

出合いって、やっぱこうでなきゃ、って思います。

 

 

さて、形式的なものをみていくと、

これは長谷式観音といわれるものなんですね。

地蔵菩薩の面をもっているのが、

ほかの観音さまと違っている点です。

 

左手に観音さんらしく水瓶を、

右手には、お地蔵さんのように杖を持っているのが特徴です。

錫杖(しゃくじょう)という杖です。

 

この観音さまは、頭以外の部分の破損がかなりひどく、

西大寺に移されてから何度か修復されたようです。

再興した叡尊さまは、

この観音さまのお顔の表情に、何を感じられたのでしょうか。

 

 

ところで、

こちらの四王堂には、四天王さんも祀られています。

それぞれ「邪鬼」を踏みつけていて、

その4つの邪鬼のうち1つだけが、

創建された奈良時代のものだそうです。

この邪鬼を目的に、四王堂に入られる方が多いようですが、

京美は、十一面観音さまがイチオシです。

 

西大寺の入館料は、

この四王堂ほか、本堂、愛染堂、聚宝館とあり、

それぞれ単体で払うこともできますし、

4つともに入れる共通チケットもありますよ。