インド人もびっくり、

という言葉が、昔はやりました。

 

ご存じの方はいらっしゃるでしょうか。。

 

激辛のカレーのことを表現しているこのフレーズ、

彫りの深い顔立ちをしたインド人が、

驚いている表情を想像すると、

二重におもしろいやん、と思っていた京美です。

 

奈良時代に創建された西大寺ですが、

現在の建物のほとんどが鎌倉時代以降に再興されています。

https://beauty-kireininaru4.com/nara-life-2/

その西大寺のご本尊は、釈迦如来です。

 

そこだけ聞くと、そっかぁ、で終わりますが、

この釈迦如来さま、ただの?釈迦如来ではないんです。

 

お釈迦さまといえば、ゴータマシッダールター、

つまりインドの国の、もとは王子さまだったヒトですね。

仏教を興したかた、菩提樹の下で悟りをひらいたかた、

かみさまほとけさまの、ほとけさまにあたるかた、

というのが京美のつたない認識です。

 

ですが、お釈迦さまは、仏像って作られてないんですね。

初期仏教では、偶像崇拝は禁止されていたというか、

あまりにも尊い存在すぎて、

目にみえる形にすることは避けていたようです。

 

京美はこのことがずーーーっとひっかかっているんですが、

それはまた別の機会にして、

西大寺の釈迦如来さまのお話です。

 

釈迦如来立像という名の通り、

すくっとお立ちになっています。

手には何もなく、両手ともこちら側へ手のひらを向けています。

 

実は、

この仏像のヘアスタイルが、他のものと違うんだそうです。

東大寺の大仏がそうであるように、

釈迦如来の髪の毛は、

パンチパーマのようになっているのが通常の形式。

悟りをひらいたことをあらわしています。

それが、

こちらの仏像は、

縄のように結ってあるヘアスタイルになっています。

 

これは、お釈迦さまの生前のお姿を、

そのままをうつしとったからなんだそう。

つまり、当時のインド僧の髪型のまま、ということですね。

 

着ているドレープのあるお召し物も、

当時のスタイルなんだとか。

 

そう知ってからよく見ると、

立っているそのお体の部分も、托鉢僧のようでもあって、

日本の僧というより、

異国の雰囲気がただよっている気がしてきます。

 

インド僧の当時の姿というのはこうだったのかと、

立像のむこうに、歴史ロマンを感じます。

 

 

ところで、

仏教は、インドでおこったものですが、

現在のインドでは、

決してメイン宗教ではないこと、周知の事実ですよね。

 

それでも、

仏陀を生んだ国という視点であらためてみると、

そこはかとないエネルギーと底力と混沌が、

いまなお息づいているのではないか、

インド人の明るさと饒舌さと自己主張の強さは、

実は大きな諦念をもとにしているのではないか。

 

そんなふうに思うことがあります。

 

その諦めとは、

似て非なるものかもしれないけれど、

仏教でいう悟りに近いものなのかもしれない、と、

ニュージーランドで出会った、

たくさんのインド人たちの言動を思い起こして考えたりします。

 

西大寺でであった仏像のなかに、

彼らをみることはないけれど、

つまり、

それは全くもって違う姿なんですが、

 

彼、彼女たちのことを思い出すと、

その信仰の深さから、

インドという国の理不尽さと悲しさと、

たくましさがたちのぼってくる、

土壌というか、風土というか、

脈々と受け継がれているものは仏教なのではないか、

なんて妄想が頭をよぎりました。

 

 

それにしても西大寺、おそるべし。

まだ続きます。