年を取るってイヤなことですね。
でも、これって、本当でしょうか?
そう思い込んでいる、ということはないでしょうか。。
確かに、老いていくのは万人共通とはいえ、当人にとってはなかなか受け入れ難いことです。
でも、ちょっとした気の持ち方の違いで、ずいぶんラクな気分になることもあるはずです。
万葉集の歌に詠まれた、奈良時代から今へと続く、老いへの認識をお伝えしたいと思います。
海外経験後、奈良に移住して目覚めた、歴史と日常についてのあれこれ。
年を取るってイヤなことですね。
でも、これって、本当でしょうか?
そう思い込んでいる、ということはないでしょうか。。
確かに、老いていくのは万人共通とはいえ、当人にとってはなかなか受け入れ難いことです。
でも、ちょっとした気の持ち方の違いで、ずいぶんラクな気分になることもあるはずです。
万葉集の歌に詠まれた、奈良時代から今へと続く、老いへの認識をお伝えしたいと思います。
今年のお正月のことです。
私がまだ奈良に住み始めてひと月も経たない頃でしたが、唐招提寺へ初詣に訪れました。
自宅から近いので、一度は行ってみようと、興味本位な気持ちもありました。
ちょうど他の参拝客もたくさん訪れていて、ご本尊の廬舎那仏のそばには、お寺さんも案内を兼ねて立ってられました。
そのお寺さんは、参拝客の誰それに話しかけては、仏像のことや仏教のこと、ときには人生についてお話されていたのです。
私も話しかけてもらったので、そのときに聞いて思ったことをお伝えしたいと思います。
万葉集より、大伴家持(おおとものやかもち)の歌を鑑賞して、現代にも通じる人の心をみています。
編者の一人で、最終統括者のような役割をしたのかもしれない、といわれている家持ですが、自身の歌も四百数十首おさめられています。
今回は、赴任先の越中・富山で詠んだ歌についてお伝えします。