- 投稿 2018/02/27
- 奈良ライフ
インド人もびっくり、
という言葉が、昔はやりました。
ご存じの方はいらっしゃるでしょうか。。
激辛のカレーのことを表現しているこのフレーズ、
彫りの深い顔立ちをしたインド人が、
驚いている表情を想像すると、
二重におもしろいやん、と思っていた京美です。
奈良時代に創建された西大寺ですが、
現在の建物のほとんどが鎌倉時代以降に再興されています。
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その西大寺のご本尊は、釈迦如来です。
そこだけ聞くと、そっかぁ、で終わりますが、
この釈迦如来さま、ただの?釈迦如来ではないんです。
お釈迦さまといえば、ゴータマシッダールター、
つまりインドの国の、もとは王子さまだったヒトですね。
仏教を興したかた、菩提樹の下で悟りをひらいたかた、
かみさまほとけさまの、ほとけさまにあたるかた、
というのが京美のつたない認識です。
ですが、お釈迦さまは、仏像って作られてないんですね。
初期仏教では、偶像崇拝は禁止されていたというか、
あまりにも尊い存在すぎて、
目にみえる形にすることは避けていたようです。
京美はこのことがずーーーっとひっかかっているんですが、
それはまた別の機会にして、
西大寺の釈迦如来さまのお話です。
釈迦如来立像という名の通り、
すくっとお立ちになっています。
手には何もなく、両手ともこちら側へ手のひらを向けています。
実は、
この仏像のヘアスタイルが、他のものと違うんだそうです。
東大寺の大仏がそうであるように、
釈迦如来の髪の毛は、
パンチパーマのようになっているのが通常の形式。
悟りをひらいたことをあらわしています。
それが、
こちらの仏像は、
縄のように結ってあるヘアスタイルになっています。
これは、お釈迦さまの生前のお姿を、
そのままをうつしとったからなんだそう。
つまり、当時のインド僧の髪型のまま、ということですね。
着ているドレープのあるお召し物も、
当時のスタイルなんだとか。
そう知ってからよく見ると、
立っているそのお体の部分も、托鉢僧のようでもあって、
日本の僧というより、
異国の雰囲気がただよっている気がしてきます。
インド僧の当時の姿というのはこうだったのかと、
立像のむこうに、歴史ロマンを感じます。
ところで、
仏教は、インドでおこったものですが、
現在のインドでは、
決してメイン宗教ではないこと、周知の事実ですよね。
それでも、
仏陀を生んだ国という視点であらためてみると、
そこはかとないエネルギーと底力と混沌が、
いまなお息づいているのではないか、
インド人の明るさと饒舌さと自己主張の強さは、
実は大きな諦念をもとにしているのではないか。
そんなふうに思うことがあります。
その諦めとは、
似て非なるものかもしれないけれど、
仏教でいう悟りに近いものなのかもしれない、と、
ニュージーランドで出会った、
たくさんのインド人たちの言動を思い起こして考えたりします。
西大寺でであった仏像のなかに、
彼らをみることはないけれど、
つまり、
それは全くもって違う姿なんですが、
彼、彼女たちのことを思い出すと、
その信仰の深さから、
インドという国の理不尽さと悲しさと、
たくましさがたちのぼってくる、
土壌というか、風土というか、
脈々と受け継がれているものは仏教なのではないか、
なんて妄想が頭をよぎりました。
それにしても西大寺、おそるべし。
まだ続きます。