平城京跡の北西にある、法華寺と海龍王寺の秘仏公開の続きです。

 

法華寺のすぐ近くにある海龍王寺、こちらも元は、藤原不比等のお屋敷内で、別名を、隅寺といいます。

 

ちょうど、邸宅の北東の隅、鬼門の方角に位置していたことから名づけられました。

 

こちらも、法華寺とあわせて、秘仏公開をしていました。

 

こちら、鎌倉時代の十一面観音像は、金ぴかのりりしいお顔立ちで、まだ、ほんのり朱や緑の色付けされているのが残っています。

 

法華寺が美女観音なら、こちらの海龍王寺は、イケメンの騎士か王子か・・という感じでしょうか。

 

ただひとつ、

 

ヒゲさえなければ・・・!!!

 

・・・口元に、ごく細の黒い線で描かれたヒゲ、これがどうにも、私は好きになれないのです。。

 

個人の趣味の問題でしょうけれど、観音さまに、なぜヒゲが?

もともと観音さまって、女性っぽいものなのではないの?

 

そんなふうに屁理屈をならべてみますが、ヒゲが理由で、ガンダーラ仏像とかも、あまり好きになれなかったりします。

 

ギリシア人を思わせる、彫の深いお顔立ちのガンダーラ仏像、たいていが美男系であるのに、やっぱりヒゲがあるんですよね。。

 

そうはいっても、この海龍王寺の十一面観音さまは、涼やかな目元といい、堂々とした立ち姿といい、おだやかながらすきっとした知性と色気が感じられて、魅力あふれる秘仏に違いありません。

 

いえ、私、かなり気に入りました。

ほとんど、ラブ、です。

 

このお顔というか、お姿というか、みていて、こちらもシャンとなる感じがして。

 

それもこれも、すごく間近でまじまじと拝観できるのがありがたいです。

間近で見れるからこそ、ヒゲが気になっちゃうんですけどね。。

 

この距離の近さも、奈良のお寺の良さで、懐の深さ感じます。

 

あと、特筆すべきことは、衣の文様についてです。

 

腰から下あたりに、コメ印のような、ちいさな文様が見られます。

これは「切金(きりかね)」といって、金を、ほそーく、ほそーく切り取って、貼り付けて作っているのだとか。

 

もう、超絶技巧というしかない、すばらしい技です!!!

 

ぜひ、機会があれば、実際に見ていただきたいと思います!

 

ところで、こんな陸地にあるお寺なのに、なぜ「海龍王」なんて名前がついているんだろう??

と、ギモンに思ったのですが、これには理由がちゃんとありました。

 

その昔、天平7年、西暦735年に、遣唐使として唐から無事に帰ってきた、玄昉というお坊さんがいました。げんぼう、さんですね。

 

この玄昉さんが、唐の国から日本へ帰るときに、嵐が吹き荒れて難破しそうになったのだとか。

その際に、海龍王経というお経をとなえたところ、無事に帰りつくことができました。

 

それで、この名前なんですね!

聖武天皇からこのお寺を賜ったときに、名づけられたようです。

 

境内には、ほかにも「五重小塔」という、貴重な奈良時代の貴重な建物が残っていました。

ミニチュア版の五重塔で、奈良感満載です。

 

さて、こちらのご住職は、イラストレーターのみうらじゅんさんとも交流があって、お名前入り供養物が置いてあったりしました。

 

ご住職は、みうらじゅんさんから、イケてる住職という意味で、「イケ住」と命名されているそうです。

 

古都のひなびた風情と、SNSでもご活躍される現代的なご住職の活動は、ギャップがあるようで、親しみやすさと懐かしさとが、うまく共存している形なんだなあ、と感じましたね。

 

お寺の門がまえの、わびさびの静謐感が漂う雰囲気もすばらしいです。

室町時代の土塀に見送られ、さわやかな木立をぬけて、現世にもどりました。

 

たくさんの人に知ってもらいたいけれど、自分だけのお気に入りとして秘密にもしておきたいような気持ちにさせられる、すてきなお寺でした。