- 投稿 2018/03/26
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ニュージーランドのホームステイ残念編の、最終回になります。
前回はこちら。
https://beauty-kireininaru4.com/english-homestay-nz3/
引っ越し先の、京美の部屋にあった、もう一つのベッドのうえの洋服の山。
あまりに無造作に投げ出されてあったので、みかねて、たたんでみたことがあります。
ですが、帰宅するとまた、元通り、ぐっちゃーとなっているのです。
たたむな、ということですね。。
それからは、放っておきました。
また、ようやく洗濯機がやってきて、自分で洗濯できるようになったときのことです。
寒い雨の日が多かった頃で、いくつかを自室に干していたら、帰宅すると、
すべて庭の物干し台に移されていました。
庭といっても、外は雨。濡れてます。
ここは、文化の違いですね。。
NZ人は、雨でも洗濯ものをとりこまないので、次に晴れて乾くのを待つ、というのが標準文化でした。
にわか雨が多くて、晴れると比較的すぐ乾く、という風土の違いもあります。
そんな私に、マザーは一冊のノートを渡してきたのでした。
そこには、歴代留学生による感想が、日本語で書かれていました。
読み進めていくと、このお宅の、かつての家族構成が分かってきたんです。
それによると、一家は、マザーのほかに、ファーザーとこどもたち、お兄ちゃん二人に妹一人の三人きょうだいという、五人家族でした。
やさしくて面白いパパ、いつも忙しそうだけど料理上手なママ、おにいちゃんたちは、その時どきで、学生だったり、卒業して働いていたりしています。
しっかりもののお兄ちゃんに、ロック好きでワイルド系な弟くん、妹ちゃんは、おとなしめの女の子、でも、ちょっと話すと親切、など、それぞれの性格も、書かれていました。
そうか。。でも、彼らはどこへ??
男の子二人は、社会人になって、独立したのでしょう。
女の子は、計算すると二十歳くらいのようですが、結婚したのか、子どもができたようでした。
そして、ファミリーにたいしては、少々の不便さはありつつも、たいていは、感謝と好意の内容が書かれていました。
でも、その先に、一つ、気になる記述を見つけたのです。
そこには、パパについて書かれていました。
書いていたのは、女子留学生で、20代前半の学生の方だったと思います。
彼女は、ホームステイ最後の金曜日に、パパに誘われて、パブに連れていってもらうことになりました。
それまで、家のなかでは飲むことはなかったようです、
お酒の好きな彼女、楽しいパブナイトを期待していました。
なのに、お酒を飲むうちに、パパの態度は変わってしまいました。
これまでの、やさしくて面白い、どちらかというとおとなしめのパパが、酔っぱらってくると、ただのエロじじいに豹変してしまったのです。
しつこく絡んできて、扱いに困った彼女。
それまでとは全く違うファーザーの態度に、驚くやら、とまどうやら、どうしていいのか分からず。。
ああ、OLになりたての頃、飲んだら変わるおじさまたちに、ぼうぜんとした自分の若き日が重なります。
半泣きになって、ほうほうのていで帰宅すると、
パパにお酒を飲ませたのね!!と、ママにも怒られてしまう始末。
それまでの数週間(正確な滞在日数は忘れました)、ステイの楽しい思い出には感謝しているから、悪くは言いたくない、けれど、最後のこの夜のせいで、すっかり嫌な気分になってしまった、、という残念な内容でした。
そうか。。
そういうことなんですね。
家の中には、そういえば、家族の写真はありませんでした。
息子娘の写真すらなくて、マザーと、マザーのお友だちの楽しそうにしている写真のみが、飾られていたことを思い出しました。
酔っぱらうと豹変してしまうパパは、ママに愛想をつかされたのでしょうか。
それとも、パパにだれか恋人でもできたのでしょうか。
想像ではあるけれど、子どもたちの独立を機会に、夫婦が別の道を歩くことを決めたことは間違いないようでした。
そう考えると、マザーのなんだか情緒不安定ともとれる言動も、理解できなくはないです。
私がリコンしたときは、「やったー!!」と自由になれた解放感と、未来への希望に胸膨らませていましたが、さみしさや不安ももちろんゼロではなかったです。
なにより、リコンを決めるまで、ながいながい時間をかけたので、もし、マザーの場合は、それとは違う急な展開だったのだとしたら、その心の揺らぎや不安は、相当大きかったのだろうと想像します。
しかし。
そんな大変なときに、なぜ、留学生を引き受けたのでしょう。
せめて数週間か数か月たって、少し落ち着いてからの再開でもよかったのではないでしょうか。
ビジネスライクというまえに、責任感のなさ、無責任さに腹が立ちます。
そして、嘘つき疑いもかけられた私は、もう自分でなんとか解決するしかない、と、
ニュージーランドにきて1週間足らずで、フラット探しをする決心をしました。
フラット募集のネット記事をたよりに、学校帰りに何件かまわりました。
慣れないバスの路線地図をもって、どこかベターな場所はないか、探して回りました。
でも、なかなか、これという場所が見つからなかったんですよね。。
それで、考えた末に、マザーに、自炊を条件に、フラットさせてもらえないか聞いてみることにしました。
マザーは、ちょっと考えたあとに、××の金額なら、とOKしてくれたので、その方がましかな。。。と覚悟しようとしていると、新しいホームステイ先が見つかった、と連絡があったのです!!
日本人マネージャーも、尽力してくれたようで(さすが日本人!)、次のホストマザーの写真をみせてもらうと、すごく優しそうな女性でした。
ここにする!
と即決して、早々にチェンジすることになりました。
でも、長かった・・・実際には、2週間の滞在でしたが。
マザーとも円満に??さよならを言って、次なるお宅へと移ることになりました。
マザーも、ステイできる家はたくさんあるからね、とかなんとか言ってましたね・・・
移る前に、例のノートを開きました。
実は、最初にこれを読んだとき、つられて、自分の体験も長々ナガと、書き連ねていたのですが、出発前にそれを読み返して、苦笑しました。
・・・私、食べ物のうらみつらみ、書きすぎ!!
ほんと、我ながら、食べ物の恨みってオソロシイですね。。
後続となる方々に、治安的なアドバイスと、このお宅はもう以前とは家族構成が違っているので、チェンジしたいときはエンリョしない方がいい、と書いた箇所だけ残して、ほかは破りました。
まったく、タイミングが悪いとしかいいようのない、悲惨なホームステイ体験でした。
それでも、このことで、かなり鍛えられもしました。
やたらと鳴くばかりの、可愛くない小型犬にのみ見送られて、私は新しいお宅へと向かったのでした。
・・・ここまで書いて、ふと気づいたことがあります。
私がマザーにとるべき態度は、理想をいえば、彼女の友だちたちと同じように、彼女のサポーターになることだったのかもしれません。
留学生だけれど、母親か親友のような立場で、彼女の世話のお手伝いをもしできていたら、私もまた、彼女のコミュニティの一員になっていたのかも。
それが幸せだかどうかは分かりませんし、どっちみち、そのときの私にそんな度量はありませんでした。
ですが、いま、なんだか、そんな気がしなくもないのです。