ニュージーランドのホームステイ残念編の、最終回になります。

 

前回はこちら。

https://beauty-kireininaru4.com/english-homestay-nz3/

 

引っ越し先の、京美の部屋にあった、もう一つのベッドのうえの洋服の山。

 

あまりに無造作に投げ出されてあったので、みかねて、たたんでみたことがあります。

 

ですが、帰宅するとまた、元通り、ぐっちゃーとなっているのです。

 

たたむな、ということですね。。

それからは、放っておきました。

 

また、ようやく洗濯機がやってきて、自分で洗濯できるようになったときのことです。

 

寒い雨の日が多かった頃で、いくつかを自室に干していたら、帰宅すると、

すべて庭の物干し台に移されていました。

庭といっても、外は雨。濡れてます。

 

ここは、文化の違いですね。。

NZ人は、雨でも洗濯ものをとりこまないので、次に晴れて乾くのを待つ、というのが標準文化でした。

にわか雨が多くて、晴れると比較的すぐ乾く、という風土の違いもあります。

 

そんな私に、マザーは一冊のノートを渡してきたのでした。

 

そこには、歴代留学生による感想が、日本語で書かれていました。

 

読み進めていくと、このお宅の、かつての家族構成が分かってきたんです。

 

それによると、一家は、マザーのほかに、ファーザーとこどもたち、お兄ちゃん二人に妹一人の三人きょうだいという、五人家族でした。

 

やさしくて面白いパパ、いつも忙しそうだけど料理上手なママ、おにいちゃんたちは、その時どきで、学生だったり、卒業して働いていたりしています。

 

しっかりもののお兄ちゃんに、ロック好きでワイルド系な弟くん、妹ちゃんは、おとなしめの女の子、でも、ちょっと話すと親切、など、それぞれの性格も、書かれていました。

 

そうか。。でも、彼らはどこへ??

 

男の子二人は、社会人になって、独立したのでしょう。
女の子は、計算すると二十歳くらいのようですが、結婚したのか、子どもができたようでした。

 

そして、ファミリーにたいしては、少々の不便さはありつつも、たいていは、感謝と好意の内容が書かれていました。

 

でも、その先に、一つ、気になる記述を見つけたのです。

そこには、パパについて書かれていました。

書いていたのは、女子留学生で、20代前半の学生の方だったと思います。

 

彼女は、ホームステイ最後の金曜日に、パパに誘われて、パブに連れていってもらうことになりました。

それまで、家のなかでは飲むことはなかったようです、

 

お酒の好きな彼女、楽しいパブナイトを期待していました。

なのに、お酒を飲むうちに、パパの態度は変わってしまいました。

 

これまでの、やさしくて面白い、どちらかというとおとなしめのパパが、酔っぱらってくると、ただのエロじじいに豹変してしまったのです。

 

しつこく絡んできて、扱いに困った彼女。

 

それまでとは全く違うファーザーの態度に、驚くやら、とまどうやら、どうしていいのか分からず。。

 

ああ、OLになりたての頃、飲んだら変わるおじさまたちに、ぼうぜんとした自分の若き日が重なります。

 

半泣きになって、ほうほうのていで帰宅すると、

 

パパにお酒を飲ませたのね!!と、ママにも怒られてしまう始末。

 

それまでの数週間(正確な滞在日数は忘れました)、ステイの楽しい思い出には感謝しているから、悪くは言いたくない、けれど、最後のこの夜のせいで、すっかり嫌な気分になってしまった、、という残念な内容でした。

 

そうか。。

 

そういうことなんですね。

 

家の中には、そういえば、家族の写真はありませんでした。
息子娘の写真すらなくて、マザーと、マザーのお友だちの楽しそうにしている写真のみが、飾られていたことを思い出しました。

 

酔っぱらうと豹変してしまうパパは、ママに愛想をつかされたのでしょうか。
それとも、パパにだれか恋人でもできたのでしょうか。
想像ではあるけれど、子どもたちの独立を機会に、夫婦が別の道を歩くことを決めたことは間違いないようでした。

 

そう考えると、マザーのなんだか情緒不安定ともとれる言動も、理解できなくはないです。

 

私がリコンしたときは、「やったー!!」と自由になれた解放感と、未来への希望に胸膨らませていましたが、さみしさや不安ももちろんゼロではなかったです。

 

なにより、リコンを決めるまで、ながいながい時間をかけたので、もし、マザーの場合は、それとは違う急な展開だったのだとしたら、その心の揺らぎや不安は、相当大きかったのだろうと想像します。

 

しかし。

 

そんな大変なときに、なぜ、留学生を引き受けたのでしょう。

せめて数週間か数か月たって、少し落ち着いてからの再開でもよかったのではないでしょうか。

 

ビジネスライクというまえに、責任感のなさ、無責任さに腹が立ちます。

 

そして、嘘つき疑いもかけられた私は、もう自分でなんとか解決するしかない、と、
ニュージーランドにきて1週間足らずで、フラット探しをする決心をしました。

 

フラット募集のネット記事をたよりに、学校帰りに何件かまわりました。

慣れないバスの路線地図をもって、どこかベターな場所はないか、探して回りました。

 

でも、なかなか、これという場所が見つからなかったんですよね。。

 

それで、考えた末に、マザーに、自炊を条件に、フラットさせてもらえないか聞いてみることにしました。

 

マザーは、ちょっと考えたあとに、××の金額なら、とOKしてくれたので、その方がましかな。。。と覚悟しようとしていると、新しいホームステイ先が見つかった、と連絡があったのです!!

 

日本人マネージャーも、尽力してくれたようで(さすが日本人!)、次のホストマザーの写真をみせてもらうと、すごく優しそうな女性でした。

 

ここにする!

 

と即決して、早々にチェンジすることになりました。

 

でも、長かった・・・実際には、2週間の滞在でしたが。

 

マザーとも円満に??さよならを言って、次なるお宅へと移ることになりました。

マザーも、ステイできる家はたくさんあるからね、とかなんとか言ってましたね・・・

 

移る前に、例のノートを開きました。

 

実は、最初にこれを読んだとき、つられて、自分の体験も長々ナガと、書き連ねていたのですが、出発前にそれを読み返して、苦笑しました。

 

・・・私、食べ物のうらみつらみ、書きすぎ!!

 

ほんと、我ながら、食べ物の恨みってオソロシイですね。。

 

後続となる方々に、治安的なアドバイスと、このお宅はもう以前とは家族構成が違っているので、チェンジしたいときはエンリョしない方がいい、と書いた箇所だけ残して、ほかは破りました。

 

まったく、タイミングが悪いとしかいいようのない、悲惨なホームステイ体験でした。

それでも、このことで、かなり鍛えられもしました。

 

やたらと鳴くばかりの、可愛くない小型犬にのみ見送られて、私は新しいお宅へと向かったのでした。

 

・・・ここまで書いて、ふと気づいたことがあります。

私がマザーにとるべき態度は、理想をいえば、彼女の友だちたちと同じように、彼女のサポーターになることだったのかもしれません。

留学生だけれど、母親か親友のような立場で、彼女の世話のお手伝いをもしできていたら、私もまた、彼女のコミュニティの一員になっていたのかも。

それが幸せだかどうかは分かりませんし、どっちみち、そのときの私にそんな度量はありませんでした。

 

ですが、いま、なんだか、そんな気がしなくもないのです。