- 投稿 2018/03/05
- 今は昔のこと
今は昔、
これもまたずいぶんと前のこと、
前回の続きです。
https://beauty-kireininaru4.com/gretel-my-history/
義母が倒れました。
その頃、京美と前夫はほとんど会話をせず、
家ではただご飯をたべて寝る、という毎日でした。
近くに住む義母は、
夜遅くに電話をしてきて、調子が悪い、
病院へ連れていってほしいと言いました。
前夫はでかけていき、夜が明けても戻らず、
京美はそのまま仕事に行きました。
午後おそくになって、連絡があり、脳溢血だったとのこと。
ただ、病院に行った直後にはすぐ分からず、
諸々の検査をしたあとにやっと診断がくだり、処置されたとのことでした。
上司の配慮もあり、
早退して病院へ向かった京美は、
前夫とバトンタッチをして、医師の話をきき、
病室で、義母の左足を4時間さすり続けました。
左半身に後遺症が残るとのことで、
すぐにマッサージ等して、できるだけ筋肉に軽い刺激を与えた方がいいと、
医師に言われたからです。
幸い、命には別条はないとのこと。
ただ左半身は問題が残り、リハビリ生活が始まりました。
これには、さすがに夫婦で力を合わせる必要があり、
義母に関する事柄について、会話をするようになりました。
けれど、
ほどなくして義母は病院を変わらねばならなくなりました。
その転院先をどうするかについて、
義兄もやってきましたが、
つまるところ彼は具体的な役にはたたず、
介護の心得なる本を3冊送ってよこしたりしました。
義母と、前夫と、京美の三人それぞれが同じ本を持っていた方がいいと。
なし崩し的に、重責を負わされそうに感じて、
このままでは、介護の末に自身も病で早逝した、
実母の二の舞になるのではと思わずにはいられませんでした。
そういえば、後になって、
前述の女性上司が、この義兄のことを、
ずっるーい!!
と笑って評しました。
きびしくて、こわい上司でしたが、
自身も介護経験があったからの台詞だったのでしょう、
正直、気持ちがスッとしました。
とはいえ、
問題は、義兄ではなく前夫です。
義母のことが起こる前から、すでに夫婦関係は壊れていました。
もし、この先も夫婦でいるのなら、
子どもを作りたい、その方が、義母の生きる希望にもなるのではと、
提案しました。
京美の提案に、前夫は、
それはできない。これから先は、義母の世話を一番にする生活になるから、
と答えました。
今ふりかえると、
どこかこっけいに思える会話ですが、
当時は真剣でした。
義母を自分の子供のかわりにすることはできない、
それを強要してくる前夫とその親戚も信用できない、
そんな気持ちでした。
ですが、
その状況は、結婚当初からひかれていたレールのようでした。
やっと、そこから外れることを決意できたのです。
結婚して10年が過ぎていました。
遅すぎる決断でした。
反面、それだけの時間をかけたから、
離婚した後に未練を感じたり、後悔することはありませんでした。
さて、
義母のリハビリを手伝っていたころに気づいたことがあります。
ひとは、例えすりきれたボロぞうきんのようになっても、
生きていたいものなんだ、ということです。
同時に、
「ヘンゼルとグレーテル」のお菓子の家で、
食べられるために太らされつづけたヘンゼルのことと、
彼の世話や家事をする妹のグレーテルが、
兄を助けるために最後にとった行動を、思い出したのです。
いつまでたっても太らないヘンゼルに、しびれを切らし、
今こそ彼を食べる!と、かまどに火をくべた魔女は、
グレーテルに火加減をたずねます。
グレーテルは、よくわからないと答えて、
魔女自身に火を見るよう促しました。
そして、かまどをのぞいた魔女の背を、
火の中へと、思い切り突き飛ばしたのです。
魔女は母親の姿だとも思いました。
わが子を食らおうとする母と、その母を火にくべる娘。
まるで死闘です。
童話は比喩に過ぎませんが、
現実はもっと過酷です。
母は、息子を手元に戻すために病になったのではないか。
もしそうならば、
自分はいつかグレーテルになるだろう、と。
いや、すでにグレーテルなりつつあると自覚したのです。
気づいてしまったあとは、もう元にはもどれません。
そのうえ、京美にとって、
もはや魔女を殺めてまで手にしたい、ヘンゼルでもありませんでした。
もうひとついえば、
グレーテルだけでなく、
魔女もヘンゼルも、勝手な義兄でさえも、
すべては自分の中にいたもう一人の自分でした。
それに気づくのはずっとずっと後のことですが、
京美グレーテルは、ヘンゼルを伴わず、
お菓子の家をでました。
39歳のときです。
やっと、大人になれたかもしれない、でも、
本当の大人になるには、
まだまだ遠い道のりを行かなくてはなりませんでした。