万葉集の歌と聖徳太子虚構説からみた、現代の悩みとの共通点とは?

法隆寺を訪れたあと、聖徳太子と斑鳩に関する万葉集の歌を2つ見つけて、感じたことの続編です。

 

聖徳太子が実は存在しなかった、という説が本当だとしたら・・・そう考えるのは、私にとって衝撃的なことでした。

 

数々の偉業をなした聖人君主として、あるときは尊敬の対象に、またあるときは創作のインスピレーションを与えてくれる存在でもあると思っていたので、脳をひっくり返されたような気持ちです。

 

そんな太子虚構説についての想いについて、もう少しお付き合いいただけると嬉しいです。

聖徳太子については、様々な議論がなされてきています。

 

私は歴史学者でもなんでもない一市民ですが、法隆寺再訪後に、万葉集の2つの歌にふれることで、聖徳太子虚構説をあながち嘘とはいえない、と思うようになりました。

 

前回はこちらです。

https://beauty-kireininaru4.com/syoutokutaishi-mystery/

https://beauty-kireininaru4.com/houryuji-temple-guzekannon/

 

①いかるがの地にかけて詠った恋歌

 

万葉集の2つの歌のうち、斑鳩を詠んだ恋の歌は、本当に恋の歌なのか?と疑問を持ちました。

 

歌はこちらです。

 

斑鳩の 因可(よるか)の池の 宜しくも 君を言はねば 念ひ(おもい)ぞ我(あ)がする

 

この歌の訳です。

 

斑鳩にある因可の池が良いものだと言われているようには、良いと評判が立っているわけではないあなた。でも、私だけが、あなたを良いと思うからこそ、余計に私の想いはつのるのです。

 

この解釈でいけば、恋の歌とみせて、その実は、また別のことを言っているような気がしないでもないのです。

 

万葉集の編集をしたといわれる、大伴家持の代表作の一つの歌にも、第二の意味があるのではないか、という解釈がありました。

https://beauty-kireininaru4.com/alone-trouble/

https://beauty-kireininaru4.com/ohtomonoyakamochi-yanagi/

 

このことを思うと、斑鳩を詠んだ歌にも、何か別の意味があると、深読みすることも可能だと思うのです。

 

斑鳩の歌は、詠み人知らず、つまり作者不詳です。

 

恋の歌としては、「」を思う「」という図式が成り立ちます。

 

この「君」を、もし聖徳太子という偉人のことを言うと考えたら、「我」は作者になります。

 

そして、その聖徳太子像というのが、実在の人物ではなく、別の人物を元にして、後世になって膨らませた虚構なのだとしたら、それは、元の人物のなにがしかの人になるでしょう。

 

例えば、ある説によると、厩戸王という人が実在していて、聖徳太子像は、この厩戸王を元に作られた虚像だということです。

その説にならうなら、「君」とは、この厩戸王という、聖徳太子とは別人のことを歌っていることになるのかもしれません。

 

あるいは、誰か一人の実在の人物ではなく、何人もの人を合わせて作ったとしたら、その何人かの人々のこと、ということになります。

 

因可の池の「良し」、というのが、虚構なる聖徳太子像で、「良し」より少しだけ劣る「宜し」というのが、元となった人物、というふうに受けとめることも出来る、という解釈です。

 

つまり、次のような意訳になります。

 

世間では、元となった人物の「あなた」はいないことになって、聖徳太子が素晴らしいということになってはいますが、私は、あなたがその人であったこと、覚えておきましょう。

 

こんなメッセージを感じられる気がしてきます。

 

②政治についての作者の想い

 

それにしても、なぜ、そんな虚構を作る必要があったのかというと、これまた説は分かれるようで、法隆寺の後ろ盾となるキーパーソンを作る必要があったとか、当時の政争のためだとか、どれも本当のところははっきりと分からないことではあります。

 

ですが、万葉集の歌から感じることからだけで推測してみると、やはり、政争というのが近いような気がします。

 

家持が詠っているのを見るまでもなく、飛鳥から奈良時代の政争もまた凄まじいものがありました。

 

山背大兄王を筆頭に、上宮王家の一族が全員滅ぼされたというのが643年です。

そして、乙巳の変、つまり大化の改新のきっかけとなったのが、ムシコロスの645年、その2年後です。

 

一説によると、山背大兄王を、蘇我入鹿が滅したということも、疑問視する説があります。

実のところは、蘇我氏を滅亡するために、中臣鎌足(乙巳の変)たちが策したものだったのでは、という考えには、さもありなんという史実もいくつかあるようです。

 

あくまで私論ですが、もし、そのような政争により、蘇我氏滅亡の前振りとして、上宮家の滅亡もあったのだとしたら、ここは、真実を隠すために、聖徳太子という偉人を後付けで作りだすことで、蘇我氏を滅ぼすことを正当化する理由となしえたのかもしれないと思ったりするのです。

 

そして、中臣鎌足とは、藤原氏始祖です。初めての、藤原氏です。

 

さらに、奈良時代に入ってからも、王位継承に関する凄まじい政変や、藤原4兄弟による陰謀など、びっくりするほどたくさんの争いが起こりました。

 

家持が、憂える原因となった、藤原氏の台頭。

それを思うとき、もしや、この詠み人知らずとは、家持その人ではなかったのか、と穿ってみたくなるほどです。

 

あるいは、家持だけでなく、当時の人々にとって、これは周知の事実だったのかもしれません。

 

誰もが知っている、公然の秘密として、聖徳太子の虚構があったのだとしたら、万葉集で、法隆寺のことも、斑鳩のことも、聖徳太子そのひとのことも、まったく詠われていないことに納得できる気がします。

 

万葉集で、聖徳太子が詠ったとされる歌1首についてはこちらです。

https://beauty-kireininaru4.com/syoutokutaishi-mystery/

 

そして、この歌は、「挽歌」、つまり死者を悼んで詠った歌、ということなので、なんだか出来すぎている気もしてきます。

 

この歌のあとには、非業の死をとげた大津皇子の辞世の歌が続きますし、家持の父である大伴旅人が妻の死を悼んだ歌もあります。

そして、さらに家持の歌がずらりと続くのです。

そのなかには、ときの皇太子が亡くなったことを嘆く長歌もあります。この皇太子の死によって、大伴一門は打撃を受け、それに反して藤原家出身の光明皇后をはじめ、藤原氏の勢力は増していくのです。

 

いかがでしょう、出来すぎた構成と言えるのではないでしょうか。

 

現代においても、政治のことは、黒い部分が良く見えないながらも、半ば公然と収賄が行われていたりと、国民の政治離れになるような脱力気分にさせられる出来事がたくさんあったりします。

 

本来なら、ここで奮起して、政治を変えていかなければならないのでしょうが、その気持ちさえも萎えさせるような、出来事が次々起こったりします。

 

まして、今のような情報過多な時代ではなかった奈良時代に、一般民衆が出来ることは限られていたでしょう。

 

そう思うと、家持が詠った歌のようにメランコリックな気持ちにもなりますし、万葉集の歌の作者たち、当時の人々のことがとても身近に感じられてきます。

 

聖徳太子は実在していてほしい、というのが私の本音です。

 

ですが、もし、虚構説が本当だったら、こんなふうに考えてみるのは脳のトレーニングになりますし、現代を生きる私たちが万葉集から学べることなのかもしれない、と思ったりするのです。