何をしても気持ちがスッキリしなくて、やたらと腹が立つときに考えたいこと

まだ30代前半の頃のことです。

通勤電車の行きも帰りも、なんだかやたらに腹が立つ、ということがありました。

 

そして、とにかく疲れるんです。

電車のなかで、座っていても、立っていても、とにかくしんどい。

 

それは、周りに知らない人ばかりがいる「電車」という状況のせいだと思っていました。

 

でも、そうではなかったのです。

 

何をしても気持ちが晴れず、何だか知らないけどムカつきやすい、

そんなときに対処したいことをお伝えしたいと思います。

不満や怒りの原因を探ってみると、そこには不安感が横たわっているようでした。

 

気分としては、八方ふさがりのような、どこから何に手をつけていいのか、よくわからない感じでもありました。

 

人と会って話していても、つまらない、と感じてしまうこともありました。

 

こんなことしてる場合じゃないのに、と思ったりしながらも、それでは何をするべきなのか、自分で自分が分からなくなってきていました。

 

分からないのではなく、解らないふりをしていた、と言った方がいいかもしれません。

 

そして、不安の原因が考えられるとしたら、それは、変化することが怖い、ということでもあるようでした。

 

おそらく、そのとき既に、当時の結婚生活がどうにもならないと感じていたのだと、今は思います。

でも、ダメになっているのに、結婚生活を維持することに依存していたのだろうと推察します。

 

また、離婚してからの人間関係でも、同じように感じたことがありました。

そのときも気持ちがスッキリしなくて、いま思えば、さみしさから他人に依存していたのではと思うのです。

 

これらのワケの分からない苛立ちや腹立ち、スッキリしない感じというのは、自分の不安から逃げていた結果でもありました。

 

つまり、自分自身の強さや、自己への信頼感、自信というものを放棄している状態だったのです。そして、これらがムカつきの原因でもありました。

 

では、これを解決するのに、私はどうすればよかったのでしょうか?

 

①自分を軽く扱う人とは離れる。

 

だいたいが、人間関係の問題というのは、その人自身が抱えている問題を反映していたりするものです。

 

その負の連鎖を断ち切るには、思い切って捨てることが大事だと思うのです。

 

部屋の片づけと一緒ですね。。

 

自分をないがしろにするような人たちとは距離を置く、離れる、あるいは切り捨てる、と言ってもいいかもしれません。

 

それで終わるような関係なら、それまでのものだと割り切ることが必要だったと思います。

 

いつまでも、自分を意のままに操ろうとするズルい人たちと一緒にいることはないのです。

 

②我慢したり犠牲を払ったりしない。

 

そもそも、人間関係をつくるとき、そこに我慢や自己犠牲があってはいけないと思うのです。

 

ただ、被害者だと思っていたのが加害者だったり、加害者だと思っていたのが被害者だったりもするので、どちらがどうなのかと考えるのはあまり意味がないとも思います。

 

それよりも、自分に被害者意識があるなら、それを客観的に見つめなおしてみたり、他人に話して意見を聞いてみたりして、本当のところを探るのも必要だという気がします。

事実はどうなのか、自分に問うてみるのもいいのでしょう。

 

これはちょっと不思議な話になるのですが、悩んでいた私は、自分の声でない声を聞いたことがありました。もう、いいのよ、と、一言ささやいたのは、亡くなった母の声でした。

 

もちろん、これは、自分の心の声だったとは思うのですが。

 

その声に、そのときすぐに従うべきだったのです。

 

人生は、本来、楽しいもので、我慢や犠牲を払って得るものではないのです。

楽しく生きていいんです。

 

それを自分に与えられるのは、やはり自分しかいないのだと思います。