奈良コトミのブログ

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海外経験後、奈良に移住して目覚めた、歴史と日常についてのあれこれ。

ニュージーランドは別の国だということ

  • 投稿 2018/02/28
  • NZ生活

ニュージーランドに3年いた京美です。

 

友人知人に、ニュージーランドに行くの、

行ってたの、なんて話したりすることがあるのですが、

そんなとき、

オーストラリアと混同されることが少なくありません。

 

はじめのうちは、

いやいやニュージーランドでね、

なんて言ってましたが、

あまりにひんぱんすぎて、

最近は訂正する気がおきません。

もしかしたら、この二つの国は同じだったのかと

京美も錯覚しそうになります。

 

いやいや、そうではないと、

ここで確かめておこうと思います。

 

 

どちらも、

同じオセアニアに分類される、南半球の国です。

 

日本からは、けっこう距離があります。

人口も面積も圧倒的にオーストラリアが大きいです。

地形はずいぶん違っていて、

ニュージーランドは、細長い形をしているので、

ちょっと日本と似てなくもないです。

位置は、

オーストラリアの南東あたりになるでしょうか。。

 

特徴としてよく言われるのは、

ニュージーランドでは、

羊の数の方が、ニンゲンより多いということです。

よくもわるくも、のどかです。

 

ニュージーランドにはヘビがいません。

ちょっと変わった虫、ウィタがいますが無害です。

 

また、

オーストラリアがその昔、

イギリスからの流刑民がいた史実から、

ニュージーランドもそうだと思っているひともいます。

これは間違いです。

オーストラリアからニュージーに流れてきた人はいるかもしれませんが。

 

原住民も異なります。

オーストラリアにはアポリジニ、

ニュージーランドではマオリです。

出自も異なります。

 

国旗はよく似ていますね。

南十字星の星の色が、

オーストラリアは白、ニュージーランドは赤です。

星の数、形も異なります。

 

オーストラリア人のことは、オージーといいますが、

ニュージーランド人は、キウイです。

 

キウイは、果物のキウイのことではなく、

くちばしの長い鳥の名前。

絶滅しそうになっているので、

その辺でよく見かける、というわけではないです。

 

そういえば、

日本からニュージーランドなど、

南半球の国へ行くと、

南北が反対になることにとまどいます。

 

北があったかくて、南がさむいんです。

フラットや家探しのときは、

北向きだと日当たりがいいということになります。

 

それなら、

東西も逆になるのか??

といえば、

そこは同じです。

なぜなら、

地球は、どこに立っていても、

同じ方向にまわっているからです。

 

だから、もちろん

太陽は東から昇って、西へ沈みます。

 

以前、

日本のラジオ番組で、

ニュージーランドに行ったとき、

東西も逆だった、なんて話している人がいましたが、

それは物理的にありえません。

 

ニュージーもオーストラリアも同じです。

 

南北は逆なので、

夜空を見上げたときの、星座の向きが、

北半球でみるときとは違います。

 

オリオン座は、反対の向きになっています。

青白いリゲルが上で、赤のベテルギウスが下になります。

 

さそり座の向きも違います。

そういえば、

夏と冬も、北半球と南半球では逆になるので、

オリオン座は夏に、さそり座は冬に見えます。

 

老人星カノープスが見えます。

南十字星と、そのまわりの巨大なアルゴ船が見えます。

日本では見えない星座です。

西大寺の釈迦如来はインドの人だったという事実

インド人もびっくり、

という言葉が、昔はやりました。

 

ご存じの方はいらっしゃるでしょうか。。

 

激辛のカレーのことを表現しているこのフレーズ、

彫りの深い顔立ちをしたインド人が、

驚いている表情を想像すると、

二重におもしろいやん、と思っていた京美です。

 

奈良時代に創建された西大寺ですが、

現在の建物のほとんどが鎌倉時代以降に再興されています。

https://beauty-kireininaru4.com/nara-life-2/

その西大寺のご本尊は、釈迦如来です。

 

そこだけ聞くと、そっかぁ、で終わりますが、

この釈迦如来さま、ただの?釈迦如来ではないんです。

 

お釈迦さまといえば、ゴータマシッダールター、

つまりインドの国の、もとは王子さまだったヒトですね。

仏教を興したかた、菩提樹の下で悟りをひらいたかた、

かみさまほとけさまの、ほとけさまにあたるかた、

というのが京美のつたない認識です。

 

ですが、お釈迦さまは、仏像って作られてないんですね。

初期仏教では、偶像崇拝は禁止されていたというか、

あまりにも尊い存在すぎて、

目にみえる形にすることは避けていたようです。

 

京美はこのことがずーーーっとひっかかっているんですが、

それはまた別の機会にして、

西大寺の釈迦如来さまのお話です。

 

釈迦如来立像という名の通り、

すくっとお立ちになっています。

手には何もなく、両手ともこちら側へ手のひらを向けています。

 

実は、

この仏像のヘアスタイルが、他のものと違うんだそうです。

東大寺の大仏がそうであるように、

釈迦如来の髪の毛は、

パンチパーマのようになっているのが通常の形式。

悟りをひらいたことをあらわしています。

それが、

こちらの仏像は、

縄のように結ってあるヘアスタイルになっています。

 

これは、お釈迦さまの生前のお姿を、

そのままをうつしとったからなんだそう。

つまり、当時のインド僧の髪型のまま、ということですね。

 

着ているドレープのあるお召し物も、

当時のスタイルなんだとか。

 

そう知ってからよく見ると、

立っているそのお体の部分も、托鉢僧のようでもあって、

日本の僧というより、

異国の雰囲気がただよっている気がしてきます。

 

インド僧の当時の姿というのはこうだったのかと、

立像のむこうに、歴史ロマンを感じます。

 

 

ところで、

仏教は、インドでおこったものですが、

現在のインドでは、

決してメイン宗教ではないこと、周知の事実ですよね。

 

それでも、

仏陀を生んだ国という視点であらためてみると、

そこはかとないエネルギーと底力と混沌が、

いまなお息づいているのではないか、

インド人の明るさと饒舌さと自己主張の強さは、

実は大きな諦念をもとにしているのではないか。

 

そんなふうに思うことがあります。

 

その諦めとは、

似て非なるものかもしれないけれど、

仏教でいう悟りに近いものなのかもしれない、と、

ニュージーランドで出会った、

たくさんのインド人たちの言動を思い起こして考えたりします。

 

西大寺でであった仏像のなかに、

彼らをみることはないけれど、

つまり、

それは全くもって違う姿なんですが、

 

彼、彼女たちのことを思い出すと、

その信仰の深さから、

インドという国の理不尽さと悲しさと、

たくましさがたちのぼってくる、

土壌というか、風土というか、

脈々と受け継がれているものは仏教なのではないか、

なんて妄想が頭をよぎりました。

 

 

それにしても西大寺、おそるべし。

まだ続きます。

苦に病むな 世上に金はまいてある 

・・・え、ほんとに??

 

と、思わず顔がほころぶ、気になるフレーズ。

わがやの近く、自転車での通り道にある

喜光寺で、いただいた言葉です。

 

秘仏・宇賀神さまを見に行ったときのことをお話ししましたが、

https://beauty-kireininaru4.com/kikouji-temple-travel/

拝観料を払ったときに、

会報のようなリーフレットをいただいたんです。

 

そのなかに、

喜光寺のご住職で、薬師寺の長老でもある

山田法胤さんが、

戌年である本年について記されていました。

 

犬も歩けば棒にあたる、

ということわざから、ご縁について、

縁の生かし方について書かれてあり、

最後の方で、こう書かれていました。

 

苦に病むな 世上に金はまいてある

欲しくばやろう 働いてとれ

 

いやあ、ガツンときました。

おっしゃるとおり。

そして、希望の持てるお言葉です。

 

古歌ということなので、

誰か、有名な人のことば、というわけではないようですが、

この真理、なんて当たり前で、

ストレートで、力があるんでしょう。

 

この歌には続きがあります。それは、

 

苦しみて のちに楽こそ 知らるなり

苦労知らずに 楽に味なし

 

・・・働いたあとのビールのうまさ、

こちらもまた誰もが知る当たり前のことですが、

なぜか、こっちの方は、

最初の文のように刺さらないんですね。。

 

どちらも真実で、あたりまえで、

シンプルな言葉なのに。

 

苦労、というネガティブなものより、

金、というご褒美のほうに、

心がより反応するからでしょうか。。

 

ネガティブな言葉より、

ポジティブな言葉を使うほうが、

運気があがるといわれます。

 

ただ、お金という言葉も、

ネガティブにとらえることがあります。

 

なんとなく、がめついというか、

お金のはなしをするのは汚いという認識が、

世の中にあることも事実です。

 

でも、お金って本当に汚いのでしょうか?

お金の汚い使い方はあっても、

お金そのものは、決して汚くはない。

むしろ、

血と汗の結晶、というたとえがあるように、

きらきらと輝いていてもおかしくない、

貴重で有り難く尊いもの。

そう思っているほうが、

お金とご縁が持てる気がしてきます。

おかね、ほしいですもんね。

 

喜光寺には、こんな言い伝えもあります。

名前の由来です。

 

もとは、このあたりの地名である、

菅原寺と呼ばれていたのが、

聖武天皇が訪れたとき、

ご本尊から、なんとも美しい光が放たれました。

このことにたいそう喜ばれた聖武天皇が、

喜光寺 と命名されたそうです。

 

あとづけの伝承なのかもしれませんが・・・

ポジティブ思考でいくと、

 

金色にかがやく光は、

その先にある願いや希望をかなえてくれるサイン、

もしかしたらそんな意味もあるのかもしれませんね。